2009-11-28

生観戦は、また次回に。

Jリーグ第33節アントラーズ・ガンバ戦観戦しに行くことを考えていましたが、断念しました。疲れていた、とか、天王山だから行っても近くでは見られないだろう、とか、それだけ大事な試合だからこそ聞こえてくるであろう相手を中傷するような言葉をあまり聞きたくない、とか、NHKでも見られるし、とか言い訳をし始めたらきりがありませんが。

ワンセグの受信状態がよく、最初から最後までちゃんと観戦できたので、感想を書いてみます。

  • 一点目から三点目までの興梠選手野沢選手マルキーニョス選手のプレーは、素晴らしかったと思います。
  • ただ、前半の後半を中心に、佐々木選手のドリブル突破をはじめ、ガンバの攻撃には決定的な場面を何度か作られていた気がします。この試合ではガンバ側の決定力不足と失点を補って余りあるアントラーズ側の得点、そしてそれによる最終局面でのガンバ側の戦意喪失に助けられた面があると思いますが、今後に向けては、不安材料な気もします。
  • ブログではアントラーズの強さを称賛する声が大きいようで、山口素弘さんテレビ番組優勝は100%アントラーズだ、なんておっしゃってましたが、上記のような感想を踏まえると、微妙なような気もします。川崎フロンターレは勝てば逆転優勝の可能性が高いかも!?という記事があり、意外とこちらの方が真実に近いのではないか、と思います。もちろん、これは精神的な問題の話であって、この事実を前提として、勝たなければ優勝はない、という意識で緊張感を今まで通り持って試合に臨むことができれば、やはりアントラーズ優勝は堅いのだろうなぁと思います。
  • その点、試合直後の会見での興梠選手のコメントが、優勝はもう確実というようなニュアンスを含んだものに聞こえたので、それが油断につながることが不安ではあります。テレビ番組で放映された野沢選手のコメントは緊張感を持ったものでしたし、監督も考えるでしょうから、大丈夫とは思いますが。

2009-11-23

良いシュートではありますけれども

鹿島野沢弾で「逆転V」見えた!?

どんなシュートだったのか、YouTubeで見ることができました。確かに、その状況下においては、最善のプレーです。何より、ゴールにつながったのですから。再生した録画で見るのではわからない、すごいシュートであったのかも知れません。その点については、称賛を惜しむものではありませんが、それでも、気になる点が、一つ。

この場面、京都のプレッシャーがかかっていないじゃないですか。是非、鹿島に限らず、Jリーグ(の上位チーム)でプレーする選手は、こんな状況なら決めて当たり前、それどころかプレッシャーがかかっていても決められます、と言えるようになってもらいたいと思います。そうすれば、今回のプレーも、相対的に目立たなくなるでしょう。そうなってこそ、日本代表のレベルアップも望めるのではないでしょうか。

2009-11-22

Jリーグの試合を見に行きませんか

Jリーグ第32節川崎が大分に敗れたことで、第33節鹿島・ガンバ大阪戦が、優勝を決める上で最も重要な試合となりました。

というわけで、この試合の券が残り少ないという噂もありますが、そんなことは気にせず、一緒に観戦に行ってやるぞ、という方を募集中です。観戦ツアーをやるとして、モデルプランは、こんな感じです。

催行人員2名まで

交通手段
自転車
往路
朝4時出発(練馬周辺基準、途中食事無しの場合)
14時頃到着
復路
16時頃出発
24時頃到着(練馬周辺基準、途中食事無しの場合)

催行人員3~5名

交通手段
レンタカー
往路
10時頃出発(練馬周辺基準)
14時頃到着
復路
16時頃出発、どこか寄り道
22時頃到着(練馬周辺基準)
追加出費
レンタカー代
燃料代
駐車場代

2009-11-21

「ビルマ連邦国における国民和解への道」

以前(2007年6月3日)ゼミのインタビューで伺った方から、11月23日に開催されるシンポジウムビルマ連邦国における国民和解への道の案内が来ました。とりあえず、自分にできる消極的協力として、リンクを貼ってみます。

2009-11-20

上司から聞いた話、メモ

入社する半年前ほどからお世話になっていた、つまりお世話になり始めてもう一年近くになるにも拘らず、あまりちゃんと考えなどを伺っていなかった上司と、居酒屋で同席させてもらう機会がありました。その場の話で、興味深かった点を、幾つか、メモ、してみます。

危機感の目的について

その場にいた上司は二人とも、今我々の組織が置かれている環境が厳しい、という認識は共通してお持ちのようです。その上で、それをどう克服していくか、というアイデアが、幾つか示されました。荒唐無稽に思える話から、現実的にありそうでも障壁の高い話、奇抜でも意外と支持を得ている話など、興味深いものでした。

その上で、聞いてみたかった点が、一つありました。即ち、そのような戦術を駆使した結果として求めるものは何か。そして、それに対えて曰く、我々の組織の存続である我々の組織をアンタッチャブルな存在にすることである、と。

このような答えも、考え方の一つ、仕事の動機付けのあり方の一つとしてはあり得るのかも知れませんが、自分自身は、必ずしも満足できるものではありません。例えば、我々の組織の存続が重要であると言っても、では何を以て我々の組織と言い、何を以て存続と言うのか。仮に我々の組織アンタッチャブルにできたとして、果たしてその先には何があるのか。実は重要な論点が、隠されているような気がします。自分としても仮説を立てつつ、色々な人の考えを伺い、自分の考えを深めていければいいでしょう。

経営的思考・能力の導入について

曰く、経営の近代化を進めるために、経営学修士等の資格を取得した人材が必要だ、と。直感的にはわかるような気もするのですが、あくまでそのレベルです。自分自身、目標を立てること、共有することとそのために戦略を立てることの必要性は以前から感じているのですが。いずれにせよ、あまり理解されていない、ということでもあるので、やはり、なかなか理解の難しい考え方なのでしょうか。いつか、本を読んでみるか、かじったことのある人に話を聞いてみたいものだと思います。

生き残る、とは

今自分が厳しい状況にある、というのは重々承知です。それに対し、生き残るべし、という旨の言葉を頂きました。ここで、聞いてみたい点が、一つ。即ち、生き残るとはどういうことか、ということです。対えて曰く、仕事を楽しいと感じられるようになることである、と。確かに、つまらなく、或いは苦しく仕事をするよりは、楽しく仕事ができていた方が精神状態として望ましいのは間違いありません。今の自分が職場では暗い、という指摘を受けたのですから、尚更です。

しかし、ここでも、一つ疑問点があります。楽しく働く、ということが働くことの目的なのか。いや、ここで話題となっていたのは働くことの目的ではない、とも言えますが、それならば、働くことの目的が楽しく働くということでなければ、楽しく働くことよりも、働くことの目的を優先できればよいのではないか、ということです。もちろん、それが達成できたうえで、楽しく働けた方がよいことは、言うまでもありません。

2009-11-17

パブリックコメント

パブリックコメントが募集されているので、意見を出すとしたら、どんな意見を出すか、考えてみましょう。

科学技術関係施策の優先度判定等の実施に関する意見募集

各府省が平成22年度概算要求している主な科学技術関係施策について優先度判定等を実施することとしています。今般、優先度判定を実施するにあたり、参考とさせていただくため、平成21年11月17日(火)~24日(火)の期間、国民の皆様からご意見を募集させていただきます。

対象施策を選び、それについて意見理由を記入する形式です。

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください

事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に生かしていく観点から、今回行政刷新会議の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。予算編成にいたる12月15日までに下記のアドレスまでメールにてお送りください(様式自由、必ず「件名(タイトル)」に事業番号、事業名を記入してください。)。なお、下記区分で宛先が不明な場合は大臣官房会計課(kaizen@mext.go.jp)までご送付願います。

電子メールで送信する形式です。対象事業ごとに送信先は分かれていますが、不明な場合の送信先も記載されています。

2009-11-16

気持ち悪くないです。

連れのアパートの玄関の近くにて。でっかいみみずがいる!気持ち悪い!と言うから何かと思ったら・・・ん?これ、よく見たらみみずではないのでは?だって、頭の形が違うし、動きも違う。(下の写真で言うと、最上部が頭・・・いや、ちゃんと考えると何が頭かなんてよくわからない、虫と脊椎動物では頭、というか口とケツ、というか肛門が逆だと中学時代に学んだ気もするけど、それはとにかく頭に見える部分です。・・・とここまで書いて、頭に見えると言うだけなら、別にわざわざ説明しなくても写真見ればわかるじゃん、と思いました。)

全然気持ち悪くないじゃん、と思おうとしてみたものの、携帯で写真を撮って、それを見てみると、確かに気持悪い、かも。それにしても、これは何なのでしょう。

ミミズのような生き物

2009-11-15

『社会学入門』

読むべき本を求めて、たまたま『社会学入門』という本を読んでいました。まさに書名からして関わるゼミの研究についてはもとより、自然科学に関しても、なかなか興味深い問題があったので、ご紹介します。

  1. 自然科学的研究手法と社会科学的研究手法は本質的に異なるのかどうか

    同書180頁の記述に拠れば、自然科学的研究手法とは、規則性と斉一性の存在を前提として、これを客観的な観察と実験を通して経験的に明らかにすることである、ということになります。一方、それに対置される手法は、諸事実の意味連関の把握を重視し、個々の事実をより大きな意味的全体の部分として統合的に理解する、ということ(同書181頁)です。筆者は、前者を科学的方法と呼び、後者を理解の方法と呼んで、社会学的実証研究はこの両者が相互補完的に機能しあって構成されている、としている。

    ここで生じる疑問は、次のようなものです。

    1. 自然科学の研究においては、後者の手法は使えないのか。
    2. この二つの手法は、本当に本質的に異なるものなのか。
    3. そもそも、自然科学・社会科学の研究手法には、この二つに含まれない手法はないのか。

    ちなみに、自分自身を振り返ると、そもそもゼミの研究手法自体、後者を志向するものであって、自分も無意識的に後者の要素をより先鋭化させるように考えを進めていっていたように思います。

  2. 科学的であるということは、論理的であるということとどう異なるのか、或いは異ならないのか

    本書187頁には、研究者が研究対象たる社会に深く入り込み、内部者としての地位を獲得することを通して得た知見に基づいて行った研究を称賛する文脈で、科学的方法による説明とは異なる、心理主義的もしくは論理主義的な主観的明証性と解釈可能性にもとづく独自の対象把握の世界が見られると述べられています。

    ここで生じる疑問は、科学的であるということは、論理主義的或いは論理的であることと、どのように違うのだろうか、という点です。自分自身を振り返れば、最初の論理的思考との出会いは中学の数学(幾何)だったような気がします。数学も自然科学のうちであるなら、科学的であるということが論理的であることと対立的に捉えられることは、矛盾しているように感じられます。論理主義的であるということと論理的であるということの違いも整理できていませんし、自分の理解の仕方に違いがあるんだろうとは思いますが、ちゃんと考えたら、(少なくとも自分にとっては)新たな発見があるような気もします。

  3. 態度意見

    ここから先は、自然科学には関わりません。

    社会科学における代表的な科学的手法が定量的調査であって、しかも定量化が難しい人々の意識を定量化しようとする手法として意識調査がある、という前提で、本書204頁には、次のような記述があります。

    意見は、特定の事象にたいして個人が下す評価や判断であり、態度にくらべて認知的要素がより強い。態度は、ほぼ論理的整合性をもち安定しているが、意見はデマやマスコミによって状況の認知が攪乱されるので、論理的に矛盾したり、短期間に変化することもめずらしくはない。

    ここでの疑問は、意見態度に、本質的な違いがあるのかどうか、ということです。もしなければ、敢えて異なる二つの語を用いる必要はなく、単に深い意見浅い意見とでも言えばよいのではないか、ということになります。でも、感覚的には、やはり意見態度に本質的な差があるような気もしていて、もしそれが本当にあると言えるなら、それは興味深いことだなぁと思います。

  4. アイデンティティーという語の邦訳について

    ここから先は、本書の内容には関係しません。

    同書207頁から、帰属意識についての調査に触れられています。そこから、連想したこと。帰属意識と言えば、アイデンティティーという語の訳・言い換えとしても使われる言葉。そう言えば、アイデンティティーという語の言い換えとしては自己同一性という語をよく聞く気がするけども、以前からそれに違和感があったところです。

    と思って「外来語」言い換え提案を見てみると、アイデンティティーの言い換え語は独自性自己認識となっています。前者は、そもそも言い換えとして正しいのかどうか疑問、同じく前者を使用した用例についても適切なのかどうか疑問に感じるところがありますが、後者については、まさに自己同一性などと同様な含意を持つものに感じられます。

    実際、自己認識という言葉は、自分にとって、アイデンティティーという語が指すと思われる含意に、かなり近いように思われます。しかしそれでも尚、提案してみたいと思った語は、自己定義です。認識定義という語を比較した場合、前者がより客観的・受動的に対象をあるがままに知るという含意が強いのに対し、後者はより主観的・積極的に対象を自分なりに捉えなおす、という含意があるように思われるから、そしてアイデンティティーという語の含意は後者により近いように思われるから、です。

    ・・・と、何の根拠もなく自分の感覚を述べ立ててもあまり意味がないので、今後色々な人と話をしたり、ものを読んだり、その他経験をする中で、根拠を見つけたり、或いは自分のこの感覚を修正できればいいと思っています。

  5. ゼミの研究目的は何か

    この点については、もはやどう本書と関係するのかさえ、この記事を書いている今となっては忘れてしまいましたが・・・。しかし、本書の内容に触発されて思いついた、ということだけは確かです。

    ゼミでは、先生の理論を適用するのが我々の研究だ、という主張(というほど論議を戦わせているわけではなく、特に議論を発生させなければ当然の前提と思われている節もあるので、理解とでも言うべきでしょうか)が見受けられます。

    ここで思い出すのが、日本政策学生会議の説明会(?)に行った時に聞いた話です。あれは、2006年7月2日、一つ上の代の幹事長と同期一人、合計三人で、慶應三田キャンパスへ行ったのでした。そう言えばあの時は、初めて彼の地へ自転車(先代)で行って、警備員さんに駐輪場がない、と言われて驚愕・憤慨したものでした。あの時は、本当に自分は大学選びで失敗しなかったと思いました。それはともかく、その説明会(?)で聞いた話は、学部のゼミでの研究は、先生の考えや理論に捉われず、自由な発想でやりなさい、という趣旨のようなものだったと記憶しています。慶應かどこかの先生が、講演のような形で話していたのでした。そのことの意味は、ずっとよくわかっていませんでしたが、今になって初めて、そういうことだったのか、と思います。

    院生と違って(いや、院生も、と言うべきなのかも知れませんが・・・)、学部生は、先生の研究の手伝いをしているわけではないのだから、指導・助言は受けながらも、独立した研究をやるべし、ということだったのかなぁ、と思います。特に自分がいたゼミについて言えば、扱っている主題自体、先生が現在進行形で関心を持って研究をしている(恐らく)主題とは既に違っていますし、教科書のようにして使っている書籍も、だいぶ古いものです。

    是非、先生の理論の後追いをする、ということではなく、不完全なものでもよいから、新たな理論を構築する、という意気込みで研究をやってもらいたいものです。自分自身、ゼミにいる時間が経つにつれて無意識的にそのような思いを強くしていったような気がしますが、自分自身で意識を明確化できなかったこともあって周囲と共有することが出来ていなかったと思います。自分の班、或いは自分の担当範囲ではそれを目指していても、それ以上に広げることができず、言うなれば、志半ばにして、という感じでした。学部生の専門性が低いのは当然の前提ではありますが、比較優位性の問題として、より発想の転換や新たな着想が重要な、野心的・根本的な挑戦をした方が、自らにとっても、また成果としてもよいのではないか、と今は思います。

    本書の内容に関係するところで言えば、理解の方法に基づく研究手法(代表として、事例研究法)は、科学的方法に基づく研究手法(代表として、統計的方法)による論理が客観的妥当性を持つのに対して対極にあるもの、と位置付けられています(本書183頁)。是非、この壁を超える研究、理解の方法に基づきながらも客観的妥当性を持ちうる研究に挑戦してもらいたいものだと思いますし、自分は、このゼミであれば、できる挑戦だと思っています。

2009-11-14

事業仕分けについて

今巷、及び自分の周囲でも話題になっている(どころではない)行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けについて、二点ほど。

次世代スーパーコンピューティング技術を傍聴して

11月13日の朝一です。結論や、議論の仕方については、様々な見方があるでしょう。そもそも、(今回のようなやり方での)事業仕分け自体が乱暴だ、という議論も、多く聞くような気がします。

ただ、一つ指摘しておきたいのは、少なくとも自分が傍聴した分に関しては、受ける側、役所側の対応もひどかった、ということ。仮に実際にやっている事業が素晴らしいものだったとしても、あの説明でそれを理解しろ、という方が無理があります。あの程度の説明しかできないのは、説明する側も本質的には事業の価値や意義を理解できていないからでは?説明する側すら理解できていない価値なんて、本当に存在するのかどうか疑わしい、と思われても致し方ない気がします。関係者の一人としては、仮にも役所で偉いと言われる役職にいる人があの程度の説明しかできないことに憤りを感じます。

・・・と、だいぶ失礼な言い方をしましたが、必要とされる能力が、今までの役所仕事とは全く異なるのだから、今まで必要とされてきたことについて優秀であった人が、それとは全く異なることについても優秀であるとは限らないし、それを求めるのは酷である、とも言えます。その意味では、今回のやり方は、官僚に求められる能力の抜本的転換とも言えなくはない(今後も続けるなら、ですが)し、実際に、科学技術は一般国民にはわからないものだし、わかる必要もない、と開き直るのでない限りは、必要とされる能力なのではないかと思います。仮にも国策として重点的に推進していくなら、その重視の度合いに応じて、やはりわかりやすくその意義を説明する必要はあるでしょう。民主主義を否定するのでない限りは。

ところで、斯様にして、役所の偉い人たちも公開で一般に対してわかりやすい説明が求められるような場に引きずり出されたわけですが、それに比べれば、まだ独法の理事などは、ぬるま湯ですね。本当は、彼らこそ今回のような任務を果たさなければならないと思います。

(事業仕分けを)今後も続けるべきか

結論から言えば、続けるべきではないような気がします。

今年度については、九月という時期に誕生した新政権として、時間が限られる中で予算編成に(よい意味での)政治的判断を反映させていくためには、このようなやり方を取るのも、仕方がなかったような気がします。

しかし、来年度以降は、別です。やはり本来は、今回のような短時間で、事業の意義・価値を判定するのは、無理があります。しかも、特に独法については、独法評価という制度(?)がある、ということを、特に強調したいです。独法は、いかに建前上独立(というよりは自律的業務運営を目的の一つとした制度)であると言っても、やはり国費を投じる以上、評価は必要でしょう。そのために独法評価という制度(?)があるのだと思います。しかし、それとは別に、予算の査定のために改めて事業の評価を行う、というのは、まことに非効率です。時期的にも、例えば平成20年度の事業についての独法評価を平成22年度予算編成に向けた作業に間に合わせることはできるのではないかと思います。例えば、国全体(又は全独法)共通の、予算要求基準(前年度比)を設けて、そこを基点にして、独法評価の結果に応じて自動的に限度額を決め、新規事業や事業拡充のためにそれ以上の額を要求したい場合のみ、説明を行う、ということにすれば、予算要求に関わる作業もだいぶ減る(=効率化できる)のではないでしょうか。(逆に、査定する側から、前々年度終了後の特別な事情から、限度額を引き下げるべき、という形での説明もあり得ると思います。)

いくら独法評価を重視せよと言っても、独法評価は中期目標の達成度を測るための評価であるべきで、その中期目標は前政権下に策定されたものだ、と考えたら、そもそも中期目標を見直さなければならない、とも言えます。ただ、そこまでやると、相当大がかりな作業になると思いますし、そのような作業に時間をかけることは、中立ではあり得ず、現状維持派を利することにもなると思います。今年度、来年度くらいは暫定的・移行的な段階になるのかなぁとも思いますが、最終的には、独法評価をうまく予算編成に活用できるような制度を構築してもらいたいものだと思います。恐らく、そのためには、予算編成のやり方の変更よりも、いかに独法評価を予算編成に使いやすいものにできるか、という独法評価のやり方の変更の方が、困難であり、作業量も多いのかなぁ、という気がします。

2009-11-08

学園祭雑感

直前に書いたように、早稲田祭へ行ってきました。主目的はwalsaでしたが、その前に、連れに連れられ、隣でやっていたCause Brand Projectも少し訪問しました。それらの感想を、徒然なるままに。(いや、徒然ではありません。もう明日は出勤です。早く寝ねばなりません。)

Cause Brand Projectなるものについて

企画自体は、幾つかの大学のミスコンの受賞者が出ていたり、有名な企業がスポンサーに付いていた関係か、客入りは良さそうな感じでした。メディアの取材のようなもの(?)も来ていたように見受けました。ただ、教室内に掲示されていた各企業の活動についての展示は、手作り感が強調されていて、まぁ、それはそれで良いのかも知れませんが、企業のブランドイメージに関わるような展示がそれでよいのか、という気も。

さて、自分が理解した限り、Cause Brandとは、企業が(営利事業としてではなく、奉仕活動として)社会貢献活動を行うに当たり、特定の商品と結び付けてキャンペーン化すること、でした。社会貢献と結び付けることで商品の売り上げが実際に伸びるとしたら、それだけ市場の社会貢献に対する意識が向上した、ということで、喜ばしいことのような気もします。少なくともビジネスモデルとしては、企業も売り上げが増え、NGO等も活動が拡充でき(つまり援助を受けるべき人々が援助を受けることができ)、さらに消費者も社会貢献ができる、という形で三方よしになる、とのことでした。一つ自分がよく納得できなかった点は、この最後の点です。Cause Brandの商品を買うことで、消費者にとっては、何が良いのか。敢えて言うなら、社会貢献をしたという自己満足感を得ることができる、ということなのでしょうか。しかし、そのような満足感を以てその人の利益(得)と言うのは、押し付けがましいような気もします。

その他、このCause Brand Projectについて、自分が感じた疑問や意見は、下記の通りです。このように活動・運動の根本的なところに疑問が残るような説明になる、ということ自体、若干うさんくさいような気がします。遅まきながら、社会人として仕事を始めて初めて、突っ込まれたくないところはなるべく避けるように説明する、という状況を実感しているからです。今までは、幸せなことに、仮に自分がした説明がわかりにくかったり内容的に不十分であっても、それは単に自分の説明能力が低いだけで、わざと隠したり避けなければならない状況にはなかったのです。

  1. 企業に対して協力要請をする際に、どのような戦略を採っているか。どのような企業に狙いを定め、どのように訴求しているか。
  2. このプロジェクトに協力的な企業とそうでない企業の本質的な差はどこにある(と分析している)か。
  3. 協力相手のNGO等は、どのように(どのような基準で)選んでいるか。話を聞く限りでは、海外のみのようだったが、それはどのような方針によるものか。
  4. これは意見ですが、本来目指すべきは、その企業の営利事業自体が社会貢献である、という状態ではないでしょうか。(そのための過渡的段階としてこのようなプロジェクトがあるならばともかく。)

walsaについて

まず、前提として、昨年・一昨年に引き継き今回も、知り合いに会うつもりで行ったのですが、見事に当てが外れました。知っている人は誰もおらず。スタッフにも、来場者にも、です。上映された映像には、一度会って話したことのある人がかなり主要な配役で出演していましたが、その時はその場にはおらず。結局、踏み込んだ自己紹介もしなかったので、さながら、偵察に行ったような感じになってしまいました。

それはさておき、企画としては、一時間半が二回の二部制になっており、第二部に参加しました。恐らく一部・二部で同じ内容だったのではないかと思います。大まかに言えば、裁判員を模擬体験する企画でした。まず事件の背景から結末までを(被告人の証言に基づいて)再現する映像を観た上で、事実関係や、承諾殺人と殺人の区別、量刑に際して考慮すべき要素等、講義と議論を交互に行っていく、というものでした。第二部の来場者は10~15人ほどで、walsa側のスタッフも同数くらいだったでしょうか。その人数が、四つ程度のグループに分かれて、配置されていました。自分がいたグループは、自分と連れの他にもう一組のカップルがいて、スタッフとしてはやりにくかったのではないかと思いますが、それぞれに違った意見が出てきていて、興味深いものでした。

さて、ここからは、文句のオンパレードになります。不快に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、ご容赦ください。

  1. 早稲田祭の公式パンフレットには10時から16時30分と書いてあったのに、ウェブでは13時30分から17時と言っている。
  2. しかも、その時間にいつでも入っていいのかと思いきや、二部制。そうならそうと書いてもらいたい。
  3. パンフレットやウェブには主催団体がALSAとしか書いておらず、チラシに至ってはALSA Japanと書いてある。なに、今回はALSA Japan全体でやっているのかと思いきや、何のことはない、実際にはwalsaだけではありませんか。
  4. 開始時間がずれこんだ。いや、これは大したことではありません。それに、開始時間が遅れることも、ちゃんとアナウンスしていたので、それは好感が持てます。
  5. しかし、来場者に対する案内が殆どなかった。第一部の開始後に訪れた際は、辺りを何度かうろうろしてようやく声をかけてもらえたものの、何がどう進行しているのか全くわからない状況だったし、第二部の開始時間ちょっと前に行った際も、会場に入ってもこちらから話しかけるまでは何の案内もなかった。
  6. 各グループにTCACが配置されていて、まぁALSA用語を使わざるを得なかったのは他に適切な語彙がなかったとしたら仕方ないとしても、それ以外にもう一人いたwalsaからの参加者が、何のためにいたのか、意味不明。
  7. 議論をしようと言うのに、講義用の席の配置のまま、というのは配慮がなさ過ぎではないでしょうか。
  8. ALSAについての説明が、全く無かった。いや、企画の趣旨を鑑みて、ALSAの説明に時間を取るべきではないと判断したのであればそれも一つの判断としてあり得るけども、それでも、せめて紙媒体で配るとか、掲示をするとか、すべきではなかったでしょうか。ただでさえ怪しい名前の団体なのに、正式名称の説明も何もなければ、本当に後ろ暗い団体がその正体を隠すために一見まともな趣旨を掲げて学園祭に参加している、というのと変わらないのではないでしょうか。特にこの点は、walsaとしての姿勢にも関わるので、実際に早稲田祭に関わった面々だけではなく、上級生の姿勢も含めて(そこまで見ていなかったにせよ、知った上で容認した或いは積極的に後押ししたにせよ)、自分は問題だと思いました。
  9. 上級生の関わり方、という意味では、そもそも上級生が来ていないこと自体も、問題と感じます。まがりなりにもwalsaとして学術企画をやるのに、一年生にすべて任せる(いや、全員一年生だとわかっているわけではありませんが・・・)というのは、いかがなものか。実際には突っ込んだ質問は出なかったような感じだったし、一年生も優秀そうな感じはしたけども、それにしても、walsaとして来場者に対する誠意が足りない、と言われても仕方がないと思います。学術面に限らず、ALSAについて突っ込んだ質問が出た場合の対応を考えた場合にも、そうです。或いは、(そんなことはないと思いますが、)学術面・運営面で、今回参加していた一年生の水準が上級生と遜色ない、というのであれば、それでは上級生が情けなさ過ぎると思います。
  10. 時間配分がおかしい。やっていることは普段のLCAAと変わらないように見受けましたが、それならせめて、議事進行や運営は完璧・・・とは言いませんが、もっと高い完成度を見せてほしかった。議論をする、と銘打った企画で、参加者に議論をする時間が短かった、と言わせるのは、計画に問題があったのでは?と思います。
  11. そして、最後に。これは完全に内部的な視点になりますが、なぜwalsaがこのテーマ(裁判員制度)を、しかも体験型でやるのか。まるで、個人的にこのような企画をやりたい、という人(達)に、walsaが名前を貸しただけかのような感じがします。walsaの人がやる、ということと、walsaとしてやる、ということは峻別すべき、と思います。或いは、walsa会員の、一種研修やモチベーションのため、という目的もあったのでしょうか。早稲田祭のように、ALSAの中では数少ない世間一般向けの企画を、内向きな目的のために(内向きな目的を主眼にしては)用いるべきではない。自分は、そのように思います。

2009-11-07

学園祭、行きますよ。

早稲田祭、今年もやるそうで。暇なので、行くつもりです。ディスカッションを通して体験と書いてあるので、ひょっとして受動的な参加姿勢ではいけないのかな?という辺りが気になりますが・・・。案内の作りも雑なので、あまり期待せずに行きましょうか。もし行かれる方がいたら、当地にてお会いいたしましょう。

2009-11-03

テーマパークについて

東京ディズニーランドへ、行ってきてしまいました。それも、朝五時過ぎに家を出て。どれだけ気合い入ってるんだよ、という感じですが、でも、せっかく行くならとことんやらないと。自宅から、自転車で二時間ちょっと。東京ディズニーランドは、駐輪場も用意してくれてるんですね。

さて、中のアトラクションについて、幾つか。モンスターズ・インクは、前回長蛇の列のため入るのを断念したアトラクションでした。今回も、朝からファストパスが売り切れてましたが、夕方、二時間待ちの列に並んで入ってみました。しかし、結局楽しみ方がよくわからず。逆に、最後までファストパスが残っていたスペース・マウンテン。自分にとっては、宇宙というコンセプトが魅力的で、何度行っても飽きないものですが、相対的には、あまり人気ないんですかね。ウィキペディアによると、開園当時からあって最も古い、ということで。関係ないですが、The PoliceのEvery Breath You Take(邦題「見つめていたい」)に惹かれる理由も、宇宙的な雰囲気のような気がします。コンセプトという意味では、ビッグサンダー・マウンテンも、良いですね。遅さを補う魅力があると思います。その他、どのアトラクションも、細かいところまで趣向が凝らされていて、やはり造形は素晴らしい。また、園内には、目を疑うようなコスプレに身を包んだ人々で満ち溢れていますが、客をしてそこまでさせる、というのも、遊園地としての魅力の高さの為せることなのか・・・と思いきや、ハロウィンの期間の特定の日以外は、コスプレ禁止なんですかね。道理で、新鮮に見えたわけです。ちなみに、それ以外にも、閉園間際にビッグサンダー・マウンテンに二回連続で搭乗したのですが、最後の最後に乗っていた人々のテンションの高さも印象的でした。個人的に残念だったのは、食事。ピザ・ポートのアトラクションの要素は良いと思ったものの、自分が歩いて回っている中では、それ以外には結局良い店は見つけられませんでした。

さて、以上は単なる感想として、今回最も強く感じたことは、本当の日本版ディズニーランドを作ることはできないのだろうか、ということです。東京ディズニーリゾートは、商売として成功している以上に、文化の輸出・拡大にも大きく貢献しているのではないか、という印象を強く持ちました。ある意味では、平成21年度の政府(第一次)補正予算で話題になっていたアニメ御殿も、同様の目的を持っていたのではないかと思います。アニメ御殿を造るお金があったら(無いような気もしますが)、日本版のディズニーランドを造れないものでしょうか。確かに、既に日本発の(キャラクター系の)テーマパークとして、サンリオピューロランドなどもありますが、東京ディズニーリゾート(やUSJ)に比肩するものとは言えないのではないでしょうか。現実的かどうかはともかく、日本発のキャラクター(と言っても様々なので、どう選ぶか、ということもありますが)を結集したテーマパークができて成功させられたら、素晴らしいなぁ、と思います。

2009-11-02

肉汁うどん「肉汁や」

以前から気になっていました、肉汁うどん肉汁や。いつも通るんです。今回やっと、通りかかったついでに、行ってきました。

接客は、とても良かったです。ただ、店員さんが近くにいるので、一人で行くと、まぁいづらい?

料理は、肉汁というので肉っぽいのを期待していたのですが、魚粉の味が強く出ていました。そんなところです。

2009-11-01

IEのみネットに接続できていなかった件

Windows Vistaを使っているのですが、だいぶ以前から、SeaMonkeyOperaGoogle TalkSkypeといったソフトウェアは問題なく使用できるのにIEでのみインターネットに接続できない、という現象が起きていました。これまではSeaMonkeyOperaで済んでいたのですが、そろそろ対策を講じなければならなくなり、調べてみたところです。

一番それらしい事例を参考にしてみましたが、うまくいかず。

結果的にヒントとなったのは、マイクロソフトサポートオンライン。問題自体は関係がなさそうだったものの、セーフモードで起動してみよ、という記述が。確かに、Firefoxの問題解決方法としても、セーフモードというのは度々言及されていた気がします。

どうすればセーフモードで起動できるんだっけ?ということで、とりあえずショートカットアイコンを右クリック。あれ、セーフモードで起動という項目、ないじゃん。だめだったか・・・。と思いきや、管理者として実行という項目があるのが目に留まりました。以前Google Talk音楽ステータス機能が作動しなくなった際に、解決に寄与したのがこれ。管理者として起動すれば、よかったのでした。

そこで今回も、管理者として起動、してみると・・・。なんと、今まで何を何度やっても「接続できません」とだだをこねていたIEが、ネットにつながってくれた!

めでたしめでたし。

2009-10-31

殺伐とした部屋に、過去の思い出

過去の思い出

部屋を整理していて、出てきました。これらのもの自体が懐かしいというよりは、懐かしい思い出を呼び起こさせるものです。しかし、置物のように配置はしてみたものの、急いで何か物を取った拍子にでも落として壊してしまいそうです。

2009-10-30

友達とは。

土日が暇だ。初めて(?)そう思いました。というのも、週末は基本的に連れと過ごしていて、基本的にそれで暇ではないのですが、その連れに用事があり、夕方まで空くことに。誰かと昼ごはんでも、と思ったけども、いかんせん一緒に行ける人に心当たりがない。何せ、その時すでに11時だったのだから・・・。そんな時、それでも学生時代はそんな暇を持てあますことはなかったなぁ、と思い返します。結局、PC(とインターネット)が使える環境にいれば、何かしら抱えている課題があったし、探そうと思えば一緒に食べに行く人がいた・・・ような気が、します。単に過去が美化されているに過ぎないという面があるにせよ、心なしか、付き合いの幅が一気に狭まってしまったかなぁ、という気がします。

今最も共有している時間が長い相手と言えば、無論、職場の人。週末の空いた時間に、職場の人と食事に行く、というのも、あり得ない選択肢ではない、ような気もします。しかし、気になる点が一つ。働き始めてわりと最初のうちに、一緒に働くが、我々は友達ではないと宣言されているのです。友達ではない、か・・・。一般論として職場の人間関係について言ったものか、特定の関係として自分との関係について言ったものか、いずれかにもよりますが、考えてみれば、意味深な言葉です。

確かに、友達という言葉からは、友達なんだからいいだろう、というような、甘えや馴れ合いも連想されます。職場における人間関係で、甘えや馴れ合いが良くないのは、納得のできることです。別な見方をすれば、友達という言葉は、双方向的な関係を指すため、押し付けがましい、或いは押し付けがましい文脈で使われやすい、と考えることもできるのでしょうか。

実際、今までも自分で友達という言葉によって周囲との関係を意識したことはあまりなかったような気がします。ある相手が自分にとって友人であり、知人であっても、相手にとって自分がどうであるかは、自分には把握できません。

斯様に、一見甘えや馴れ合いと結び付きやすい友達という言葉も、双方向的か一方的かというだけで、他の同様な言葉、例えば友人とか知人とかといった言葉と本質的な違いはないものだとしたら、ある相手に対して友達ではないというのは、さらに重い意味を持つのかも知れません。つまり、自分が相手を友人・知人と思わないだけでなく、相手から友人・知人と思われることすら拒否する、ということにもなりかねないのですから。

2009-10-26

walsaへ。

自分は、どんな人間か

  1. 自分自身を一言で表すと?

    敢えて言うなら、確かな野党でしょうか。主流派ではない点、しかし全体ありきの一部である点。

    ちなみに、就職活動の際に某社へ提出したエントリーシートで、『桃太郎』に登場するキャラクターに例えるとあなたは何ですか?(理由も合わせて)というのもあります。

  2. チャームポイント、自分をビュッフェのメニューに例えると(パスタ、ローストビーフ、ケーキ等)

    差し詰め、わさびか辛子かなぁと思います。(どちらかと言えばわさびの方が好きです。)メインの味とは違った味であり、しかも出過ぎてはいけない味である点。

  3. 趣味(自転車について)

    ・・・。例えば、今までに挑戦し、やり遂げたと思えることとして挙げられることです。

  4. 座右の銘

    瓢箪から駒です。エントリーシート(一)の中に関連した記述があります。

  5. (主にALSAでの)略歴

    一言で言えば自分自身を一言で表すと?と同じになってしまいます。主なものを順番に書くと、

    一年(2004~2005年)
    (春)STfromロシア
    (夏)STto韓国、AFin東京
    (秋)ELSA ICM(ルーマニア)、ALSA日本ウェブ担当開始(2006年夏まで2年間)
    (冬)CCDLバイト開始(卒業時まで4年間)
    二年(2005~2006年)
    (春)新歓フォーラムTC、ACinタイ
    (夏)STfrom韓国TC
    (秋)CCP開始(実行委員長として1年間)
    三年(2006~2007年)
    (春)ゼミ開始(卒業まで3年間)、ACinシンガポール(模擬裁判)
    (夏)AFinインドネシア、ST日本TC、IB事務総長(1年間)
    (冬)ACinタイ(一部)
    四年(2007~2008年)
    (春)飲食店でのアルバイト開始(卒業時まで2年間)
    (夏)AFin韓国、一人暮らし開始(卒業まで1年半)
    (秋)早稲田祭
    五年(2008~2009年)
    (春)ST北海道(非正規メンバー)

昔話

  1. 自分にとってALSAとはどのようなものである(あった)か?

    学生時代の最重要事項であり、自分の存在意義を主張するための最も重要な手段でした。また、別の観点から、公か私か、という意味では、ALSAこそがであり、その他のことはでした。

  2. ALSAに入って一番変わったこと

    以前よりは異性とのコミュニケーションが円滑になったこと・・・。後は、(入学時より)丸くなったとは言われました。

  3. ALSAの中で一番印象に残っているエピソード

    一番と言うなら、やはりST2005の分科会か河口湖CM(いつだったでしょうか)でしょうか・・・。

  4. CCP創設時の裏話

    一度は一つ下の代にやってもらおうとして、先輩から諭されて自分でやることにしたこと、くらいでしょうか・・・。

今の話

  1. 最近の脳内シェア(仕事50%、お金30%・・・)
    • 仕事60%(日常的な業務関係50%+組織自体のあり方について10%)
    • 家事・食事20%
    • 恋人関係、友人との旅行計画等20%
  2. 仕事について

    (具体的な質問を立ててもらった方が答えやすいっす。)

  3. 社会人になってALSAでやってきた活動が活きている、と思うこと

    ありません。

  4. これからのキャリア・プラン

    特にありません。しかし、多様な可能性を排除しないでおこうとは思っています。

今のALSA(日本)

  1. もし早稲田でAAをするとしたら、どんなAAがしたいか

    自分の活動を還元できるようなもの。自分がTCをやっている時だったらそのテーマ、ゼミをやっている時だったらそのテーマ、今だったら独法制度について、とか、です。

  2. 新しいCCP担当へのメッセージ

    (まずは今どうなっているのか、を伺ってから、です。)

  3. 現会員へのメッセージ
    1. ALSAの活動は、学年の枠を超えてやって欲しい。
    2. ある活動を行う時は、明確に(達成したかどうかを判定可能な)目標を立て、終了後はその目標が達成できたかどうかで評価すべき(これは自分が会員だった時になかなか気付かず、気付いた後もやろうとしてできなかったこと)。
    3. 自らが学生のうちにALSAでやるべきこととその理由、社会の中で学生の果たすべき役割を考え続けて欲しい。

2009-10-25

明日大学へ行きます。

明日(10月26日)は会社が創立記念日で休みです。自分も、緊急招集のない限り休みです。

ちょうどお声がかかった(かけてもらった)ので、午後、大学へ行くことにしました。8号館にいると思うので、もし見かけたら声かけてください。

2009-10-24

なぜ「飲みニケーション」重視の会社は儲からないか

自分の勤める会社は、必ずしも全体として「飲みニケーション」重視とは思いませんけれども。

しかし、中期計画なんて形だけつくるもので、現場では役に立たないとかは、あてはまるような気もします。いや、中期計画が役立っていないことはありません。役所相手の説明の根拠としては、役立っていると思います。しかし、それが、業務の骨肉となっているか。部門・領域にもよるのかも知れませんが、疑問が残るような気がします。

公式の会議やメールでは全体像がわからず、周辺から情報をかき集めてやっと合点がいくような組織というのも、ちょっとあてはまっているような気がして、引っかかるところです。ただ、これは自分がわかっていないだけで、他の人は分かっているのかも知れないので、あくまで自分にとっては、ということですが。それでも、あえて原因を探すと、組織全体で共有すべき大方針があり、そこから一段ずつ降りてきて自分の所属する部署や自分自身の使命になる、という整理がされていない(自分からは見えていない)からかなぁとも思います。

2009-10-18

最近、築地・銀座方面から歩いて帰ることが多い

なぜか最近、築地・東銀座・銀座方面から歩いて帰ることが多いです。

先週築地秋まつりに行った時は、帰りにふくちゃん築地総本店播磨屋東京銀座本店をはしごして、食い倒れな感じでした。その時も、そこから歩き。時間帯は、竹橋から飯田橋まで歩く時間に、ちびまる子ちゃんの途中からサザエさんの最後までをやっていたような気がします。

昨日は、久しぶりにに行って、出たのが22時過ぎ。そこから歩き始め、TSUTAYA早稲田店に寄ってから、高田馬場へ。居酒屋いくなら俺んち来い。高田馬場店へ行きました。スタッフも、深夜シフト(土曜シフト?)だったようで、悪くなく、牛肉の何とかと豚しゃぶのサラダも、よかったです。

問題が起こったのは、帰り際。口コミにも書いてありましたが、お通しが一人390円なんですね。これに、連れが激怒。確かに、生キャベツをちょっともらっただけなので、それでその値段は、というのはありまして、実際にはおかわり自由だったそうですが、その説明がなかった、ということもあります。次回以降についても、お通しをやめてもらうことはできない、という説明でした。その場は自分が収めるような形(?)でお金を払って出てきたのですが、なかなか連れの怒りは収まらず、景品表示法違反だとか、警察を呼ぶとか、悪をのさばらせてはいけないとか、ぷんぷんでした。

確かに、客には無通告のお通しを拒む権利はありそうだし、無通告のお通しで代金を請求されるのは、いい気はしません。問題は、その場でお金を払うことを拒否することが大事だったのか、あるいはもっと根本的に仕組みを変えてもらいたいのか、というところじゃないかと思います。その場で払いたくない、ということも、気持としてはあり得ることで、実際自分も値切ってしまったことがあるので、人のことは言えないのですが、それならそうで、ちゃんと相談してくれないと、と思うわけです。こちらとしては、今後もまた来たいと思っているわけで、でも今回は払いたくないとしたら、ちゃんとそこを説明する必要があるわけで。それか、そういうはした金で争うのではなく、ちゃんとけりを付けたい、ということだったら、そんな現場レベルで争ってもしょうがなくて、(いや、現場レベルでもちゃんと言っておくことが相手には親切かも知れませんが)、消費者庁に言うなり、ウェブ上で主張するなり、やり方はあるわけです。多分。結局は、そういう方向で、ということになりました。

しかし、自分として思うことは、そもそもお通しを無通告で出しながら請求する、ということ自体は、(良いか悪いかは別として、実際には)社会通念として受け入れられてしまっているんじゃないかなぁ、ということと、お通し代という名目ではありつつも、内装や接客を含めた、純粋な飲食物以外の、その店に対する総合的な評価として考えてもよいのではないかなぁ、ということです。前者については、その社会通念自体に挑戦する、ということも立派なことではありますが、まぁ、そうしたいのかどうか。後者については、そもそもその店をそこまで評価しないのであれば、前提が崩れます。

ちなみに、その以前値切ってしまった店は、自分が気に入っていた杏仁豆腐がセットに付かなくなったので、あまり行く気がなくなっています。最近近くで食事をした時も、その店を避けて、陳麻家へ行ってしまいました。陳麻家も、自分はおいしいと思いましたよ。でも、また餃子市の杏仁豆腐復活しないかなぁ。

2009-10-15

やっぱり自分で作った食べ物はまずい

家に食材が溜まってきていて、このままでは傷んでいってしまうということと、今日はたまたま帰りが早かったことがあり、ちょっと食べ物を作ろうと思いました。

家にある食材は、玉葱3個、里芋3個、大根半本、キャベツ半個、小松菜(?)2束ほど、トマト3個、枝豆1袋。大根は大根おろしにしたい、トマトは生がいい。枝豆はゆでた後に単独で食べる。残りの中で、葉っぱものの方が傷みやすいかな?と考え、まずキャベツ半個を使い切ることとし、それだけではちょっと・・・なので、玉葱1個・里芋1個も合わせて使用しました。

フライパンに油をしき、その上で玉葱、里芋、キャベツの順で投入し、熱します。フライパンからあふれそうな量で、まぜることもできず、気を逸らしているうちに、いつの間にやら、焼きそばのようなこんがりした色に。調味料何も入れてないのに・・・。色だけ調味料を入れたようであってもしょうがないので、調味料を入れます。選んだのは、何年前のものかわからない、何も書いていない、何かのたれ。何はともあれ、できあがりました。

たれの味は・・・あまり味がしませんが、強いて言うなら餃子のたれのような感じです。さて、御飯とともに食べます。今まではお米重視でおかず少なめだったのですが、今回は、栄養素のバランスの面ではお米よりもおかずの方が必要なのではないかと考え、お米を少なめにしていました。しかし、それが裏目に出ることに。今回の食べ物、お米で中和しないと、食べられたものではありません。これには参りました。しかし、食べられたものではないと言っても、背に腹は代えられぬ、何とか全部食べ終わりました。

しかし、自分の作った食べ物のまずいこと。よく、自分の作った料理はおいしいなどと言いますが、どういうことなんでしょうか。いやしかし、見方をかえると、物質的にはまずくて食べられないようなものが、今回は自分で作ったものであったために、多少はおいしく感じられる力が働き、結果として食べられたのかも知れません。つまり、物質的には同じものでも、自分が作ったということで、精神的には少しましに感じられる、ということなんですねぇ。いや、別に、外で同じような食べ物が出たからと言って、残すことは自分の信条に反しますが。自分で作った食べ物はまずいではなく、自分が作った食べ物はまずいと言うべきだったのかも知れません。いや、単に腹が減っていたためとも言えますが・・・。

2009-10-05

ニュージーランドへの航空券

フレックスインターナショナル IACEトラベル 旅人舎 タイリクトラベル CANツアー ヤジキタ
航空運賃 80000円 80000円 80000円 90000円 80000円 77000円
成田使用料 2040円 2040円 2040円 2040円 34140円 2040円
現地空港税 2840円 2840円 3300円 4000円 27620円
燃油サーチャージ 29600円 29600円 27600円 27600円
保険料 2000円
手配料 3150円
成田発 3月6日 3月6日 復路満席 3月6日
19:00 11:30 13:30
便名 SQ11 SQ637 MH71
経由地着 3月7日 3月6日 3月6日
01:35 18:00 20:05
経由地 シンガポール シンガポール クアラルンプール
経由地発 3月7日 3月6日 3月6日
08:50 19:45 21:30
便名 SQ281 SQ297 MH131
到着地 オークランド クライストチャーチ オークランド
3月7日 3月7日 3月7日
23:40 10:30 12:50
出発地 オークランド オークランド
3月14日 3月13日
01:10 14:15
便名 SQ282 MH130
経由地着 3月14日 3月13日
06:40 20:05
経由地 シンガポール クアラルンプール
経由地発 3月14日 3月13日
09:45 23:35
便名 SQ12 MH88
成田着 3月14日 3月14日
17:20 07:15

2009-09-27

サッカーを観戦しました

カシマサッカースタジアムで、J1第27節鹿島対名古屋戦を観戦してきました。

試合自体の感想は・・・

会場に到着したのが前半30分くらいで、実際に観戦できたのはほぼ後半のみ、という感じでしたが、何ともお粗末な試合でした。後半、自分の席からは新井場選手がよく見えましたが、守備ではマークに付ききれていない、攻撃でも位置取りが良くなかったように思えました。遠いサイドでも、タッチライン際でボールを収められていない場面が何回か見られましたし、中央は中央で、攻撃にアイデアがない感じがしました。グランパスの方でも、巻佑樹選手の動きなどは、これでいいのかなぁ?という感じもありましたが、決めるべきところで決めた、ということでしょう。実際、この試合でアントラーズが勝つとしたらセットプレーか相手のミスで点を取って、ということしか考えられませんでしたが、それで4点(以上)も取るのは、不可能でしょう。

ところで、最初に、後半の新井場選手のプレー位置に近いところにいたと書きましたが、実は、いた場所はアウェー側サポーターズシートだったのです。一緒に行ったもう一人がグランパスのファンだったのでそうしたわけですが、実際、ホーム側サポーターズシートより空いており、より近いところで落ち着いて見られたので、結果オーライだったのかなぁ、というところです。サポーターは12人目の選手という意味では、グランパスの12人目の選手の見かけを大きくするのに、ちょっぴり貢献してしまったかも知れない、というのと、逆に、自分の会話での発言が、グランパスのサポーターの集団としての雰囲気に水を差してしまったかも知れない、というのも、なくはないのかも知れませんが・・・。

往路

それはそうと、会場までは、自転車で行きました。経路は、以前(2006年5月頃)鹿嶋市街へ行った時とほぼ同じで、大まかには、環七通り水戸街道(青戸八丁目から松戸隧道先まで)、千葉ニュータウン、利根川(印西市街の東外れ「木下東」から水郷大橋の先「篠原口」まで)、国道51号を通りました。

千葉ニュータウン内の国道464号では、一人が歩道を走っていたところ、国道16号との交差部分で、方向を見失ってしまい、進路を変更するということもありました。常々感じることではありますが、つくづく、(日本の)道路は、自動車中心にできているなぁ、と思います。しかし、けがの功名と言うべきか、進路変更によって通ることになった印西市木刈では、梨の直売所のおじさんに梨を一ついただきました。それが、とてもおいしく、感動ものでした。

その後、利根川の土手を走る部分が30キロ以上ありましたが、景色が変わらないこと、風が強いこともあってペースがだいぶ落ちました。時速10キロにも届かないペースだったでしょうか。結局、鹿嶋市内にようやく入ったあたりで試合開始時刻を迎えることとなりました。

そして、帰り・・・

さすがに125キロの道のりを一気に自転車で走破するというのは、いくら坂道が少ないとは言っても、馴れない人には過酷でした。一人が、帰りの自転車行を断念したため、対策を考えることにしました。まず考えたのは宅配便で自転車を自宅へ送ること。しかし、宅配便の集配所は近くにはない上に24時間営業はしていないだろうし、コンビニで扱ってくれるのかどうかもわからない。そこで、レンタカーで運ぶ、という案が浮上しました。幸い酒を飲んでいなかったので、結局、自分が都内へ一度戻って、車を借りて引き返してくる、ということになりました。ニッポンレンタカー秋葉原営業所に着いたのが0時40分頃、日産・キャラバンを駆って出発。ほぼ自転車での往路と同じルートで鹿嶋へ向かい、神栖市内のネットカフェで合流したのが3時頃。全線一般道で、この時間で着きました。鹿島神宮駅前へ戻り、自転車を回収してから、再びほぼ同じ経路で東京へ向かい、無事車を返したのが、6時40分頃。交代で運転しました。松屋で朝食をとり、解散。おつかれさまでした。

2009-09-05

自然科学研究機関の位置付け

徒然なるままに、自然科学研究機関の位置付けを考えてみています。社会科学・人文科学の分野にまで応用・連続できるのかどうかわからないので、とりあえず自然科学分野を念頭に置いて考えてみます。大雑把で抽象的なので何を言っているのかわからないと思われるのが普通かと思いますが、ご意見をいただければ幸いです。

両軸の定義・特徴

  1. 分野融合的⇔分野独立的

    前提として、研究者は、特に何もしなければ分野独立的に研究を行うものだと思います。それは、事務でもそうでしょう。企画系・広報系・経理系・庶務系・知財系等々、何もしなければ、それぞれの系列内で仕事がつながるのではないでしょうか。それに対して、積極的に働きかけを行うのが、分野融合的であるということです。

    但し、同じ分野融合的と言っても、戦略研究機関総合研究機関ではその性格が若干異なります。前者においては、分野融合として求められることの中身は、組織レベルで、関係する様々な分野の研究を含んでいることです。いや、様々な分野の研究を含んでいることが必要というよりは、下記のように政策目的ありきで組織が存在する以上、それに関係する分野が複数に亘るのが通常であり、その一部を排除すべきではない、という消極的なものです。その中身も、同一の組織内に各分野の研究が含まれれば、とりあえずよいと言えます。

    それに対し、総合研究機関に求められるのは、基本的に全研究分野を網羅することです。つまり、戦略研究機関に比べれば、積極的な分野融合と言えるでしょう。また、分野融合の具体的な内容も、ただ単に一つの組織内に複数の研究分野が存在していればよいというものではありません。組織レベルではなく、研究レベル、研究者レベルで交流をし、触発し合うことが求められます。

  2. 国策的⇔独立的

    この軸は、政府の政策との関係性を強く持つ必要があるかどうか、というのが違いです。関係性が強い場合は、政策によって予算等が上下するでしょうし、そうでなければ、その逆ということです。

    各機関に影響する政府の政策というのは、大きく分けて、二種類あるのではないかと思います。一つは、研究の目的に当たるもの、例えば環境問題の解決や健康長寿社会の実現などです。もう一つは、知的基盤の整備で、国内外で共有する研究基盤として整備される研究施設や、研究に必要な資源の整備等があるでしょう。

    この、国策的か否かの違いは、各機関の業績評価のために用いるべき指標の違いにも表れるものなのではないかと思います。国策的な機関であれば、その国策を遂行できているかどうかが、最優先の評価基準となるでしょう。一方、独立的な機関においては、純粋に科学的な価値を評価することが第一の指標となるべきものなのではないでしょうか。

なお、上記に述べたものを一つの原則として、注意すべき点はあると思いますが、それはまた追って考えます。

組織として

自分の仕事のことはひとまず置いておいて、自分が所属する組織について、考えてみます。やはり、幸か不幸か、大きな変革を求められている状況であるようだからです。

機会があって、自分の持つ疑問として上司に伝えたことが、一つあります。それは、今、自分が見る限りは国としての方向性と現場としての方向性の調整に終始している気がするが、この組織全体としての方向性を示せないものか、ということです。(この通り伝わっているかどうかは、ともかくとして、言わんとしたことは、です。)

確かに、今までになかった、組織内横断的な施策も新たに企画されておりますが、それも、あくまでも予算を獲得するための戦術としての位置付けか、国にとって重要である、という位置付けになっていると思います。自分が考えたいのは、そのような施策が、我々の組織の進むべき方向性の中でどのように位置付けられるのか、ということです。

それに対する応答としては、現在の独法という組織形態では、国としての方向性を実行するのが我々の組織の役割である、という点と、進むべき方向性と言っても、我々の意思で決めるのではなく、我々を取り巻く環境によって柔軟に変えていくものだ、というような点・・・だったと自分は理解しました。

前者については、確かに法律上そう位置付けられているのは間違いないし、建前としては間違っていないと思います。国に対する説明としては、そうなるんだろうと思います。しかし、国とは距離をおいた組織として百年近い歴史を持つ組織が、外部向けにはともかく、内部においても、そのような思考しかできないとしたら、それは悲しいことだと思います。そして何より、それがある(あるべき)という点が、自分がこの組織に入ろうと決断した重要な要素の一つでさえあるのですから。それに、そもそも、「法律」というのは、本質的には、大前提とすべきものではない、と思います。もちろん、日常業務は法律を頂点とする行政法の体系を大前提としなければなりませんが、組織のあり方そのものを考える際には、法律自体も批判的に検討していくことが一般論として必要ですし、時期としても今はそれができる可能性の高い時期になっているのではないかと思います。

後者については、独法に限らず、サークルでも、会社でも、一般論として言えることだと思います。ALSA内でも、同様な議論をどこかでしていたような気がします。現在のところは、自分の考え方は、変わりません。自分たちの組織を取り巻く環境の変化をシュミレーションし、どのような状況になったらどうするという対応策を考えておくことが大事ですが、その対応策の前提となる、組織としての核となる意思は、本質的には、周囲の環境に左右されるものではない、と思います。ALSAの場合は、その本質的な部分を、(明文としては)規約会則として自ら決めていたものが、今の我々の組織では、法律という形で外部的に与えられている、というのが、考えを整理しにくくしている要因の一つでもあるのでしょうか。

ちなみに、前者の議論をさらに進めると、ではその組織としての意思の中身としては、何が適切なのか、自分の考え方はどうなのか、ということになります。組織としての意思を持つというコンセンサスのない中でその中身について議論をするのは、議論を矮小化させているような気もしますが、そうだとしても、自分の具体的な案なしに質問ばかりぶつけるのは失礼なことなので、考えなければなりません。

一つの考え方として、現場の、研究者がより自由に研究でき、実力を発揮できる環境を整えることが組織としての意思だ、というような話も聞いたことがあるような気がします。自分(たち)の仕事の出来如何が人の生活を左右する、という責任を指摘されたことも、これと関係するのかも知れません。確かに、仕事上のミスが人に与える重大性は、十分に認識しなければなりません。しかし、ミスレベルの話ではなく、方向性の話をする際には、決して、今いる人たちのため、というのが最重要な方向性ではないことは、組織外部の人と話していて、気付かされました。しかし、そういう話をすると、中にいる人たちのためではなく国のために組織として方向性を定めるべき、という議論になりがちな気がしますが、そのどちらでもない、第三の道があるのではないか、というのが、ここで言わんとしていることです。

仕事の現状

自分の仕事のことを考えれば、きりがありません。

先日ALSAの後輩と電話で話す機会があったのは自分としても現状を整理するいい機会になりましたが、仕事は遅い、ミスが多い、人の話を聞いていない、聞いたことを覚えていない、等々。

職場の、自分に最も近いところにいる人の話を総合すると、幸か不幸か、自分が今の部署にいるということは、今後仕事が「できる」人間として認められていくか、組織の中で仕事の「できない」人間として諦められるか、大きな境目にいるような気がします。

もちろん、仕事が「できる」人間でなくとも組織の中で居場所を見出していくことはできるだろうと思いますが、今の自分の組織の中では、そのモデルとして考えられるような人には会っていない気がします。つまり、仕事が「できる」人間で周囲との関係も良好な人か、仕事が「できない」人間で、周囲との関係も良好でない人か、どちらかしか知らない、ということです。とは言え、まだ一つの部署、半年しか見ていないので、今後自分が進むべき道のよきモデルとなる人物を見出せたら、幸せなことだと思います。

ちなみに、今の自分が仕事が「できない」要素として四点挙げましたが、それぞれについて、ちょっと言い訳してみます。最初の二点については、今までそういうことを考えながら生きてきていなかったので、そのような要素が求められ、それができるようになるとすれば、自分にとってはかなり大きな転換です。その転換をするには、やはり時間がかかる、ということは言えると思います。無論、時間をかければ解決していくことなのかどうか、という点が最も重要な問題なのですが。後の二点については、業務の全体像を系統立てて理解できていないのが理由の一端なのではないかと考えています。これについても、時間が解決する、と考えたいですが、そうなれるかどうか。

いずれにせよ、今の時点では仕方がない、という慰めの言葉を下さる方がいるのはとてもありがたいですが、現実問題として前任者や(似たような業務ラインにいる)同期という比較対象がいて、自分の仕事ぶりが大きく見劣りする、ということは否めないわけで。これが「今のうち」で済めばいいと思います。自分として大事にするものは堅持しつつ、今まで自分になかった要素を付け加えていく苦闘は、まだまだ続きます。

2009-08-19

ニュージーランドでレンタカー

条件
出発 オークランド空港 2010年3月7日
到着 インバーカーギル空港 2010年3月13日

トラベルジグソー

車種 条件 合計料金 一日当り料金
NZドル NZドル
Suzuki Swift又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:4 26099
Daihatsu Sirion又は類似した車種 マニュアルタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:5 28475
Toyota Corolla又は類似した車種 マニュアルタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:5 29718
Toyota Corolla又は類似した車種 マニュアルタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:4 30339
Toyota Corolla又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:5 30813
Toyota Camry又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:4 32071
Holden Commodore又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:5 35105
Toyota Rav 4又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:5、シート:5 44984
Holden Commodore Wagon又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:4、シート:5 45280
Toyota Prado又は類似した車種 オートマチックタイプでエアコン付き、ドア:5、シート:7 53212

Hertz

車種 条件 合計料金 一日当り料金
NZドル NZドル
Economy Hatch - (Group B) Toyota Yarisまたは同クラス 5大人、1中型スーツケース(90L程度)+1小型スーツケース(55L程度)、マニュアル、エアコン、デュアルエアバック、ABS 27861.93 74.00
Compact Manual - (Group C) Toyota Corollaまたは同クラス 5大人、2中型スーツケース(90L程度)+1小型スーツケース(55L程度)、マニュアル、エアコン、デュアルエアバック、ABS 28238.44 75.00
Compact Automatic - (Group D) Toyota Corolla Hatch/Sまたは同クラス 5大人、2中型スーツケース(90L程度)+1小型スーツケース(55L程度)、オートマチック、エアコン、デュアルエアバック、ABS 29367.98 78.00
Compact Automatic - (Group D) Toyota Corolla Hatch/Sまたは同クラス 5大人、2中型スーツケース(90L程度)+1小型スーツケース(55L程度)、オートマチック、エアコン、デュアルエアバック、ABS 29367.98 78.00
Midsize - (Group E) Toyota Camryまたは同クラス 5大人、2中型スーツケース(90L程度)+2小型スーツケース(55L程度)、オートマチック、エアコン、デュアルエアバック、ABS 33137.31 88.00
Full-size - (Group F) Ford Falcon Futuraまたは同クラス 5大人、3中型スーツケース(90L程度)+2小型スーツケース(55L程度)、オートマチック、エアコン、デュアルエアバック、ABS 37656.03 100.00
Premium 4WD - (Group M) Toyota Prado VXまたは同クラス 5大人、4中型スーツケース(90L程度)+2小型スーツケース(55L程度)、オートマチック、エアコン、デュアルエアバック、ABS

2009-08-02

携帯のアドレスを変更しました

結論としては、携帯のアドレスを変更しました。

新しいアドレスは、PCアドレス電話番号@ezweb.ne.jpです。

※PCアドレス中、@_に、gmail.comgmailcomに変更しています。

※今までもそうだったのですが、基本的にGmailへ来たメールは携帯へ転送するようにしており、携帯宛のつもりのメールでも、Gmailへ送っていただけると、嬉しいです。なので、アドレス変更の通知は最小限にして、アドレス変更の連絡は、必要があればこちらからメールを送る時のついでにするようにします。

つまり、キャリアが変わりました。

今までずっとDoCoMoを使っていましたが、auに変更しました。

  • 今までは、複数の人の中で誰かに連絡する場合、迷ったらDoCoMoを持っている人に電話をかけていましたが、これからは、迷ったらauの携帯を持っている人に電話すると思いますので、悪しからず。
  • こちらに電話をして下さる場合、DoCoMoからだと、今までより高く、auからだと、今までより安く、なると思います。悪しからず。

ちなみに、今回キャリアを変更した理由は・・・

  1. 普段の通話料が、1万を超える時もあるほどで、以前2000円とか3000円とかだった時に比べると、シャレにならなくなっていること。(と言っても、自分の料金プランの選び方が合ってないということもあるかも知れませんが、気持ちとしては、それを考えるのが面倒、ということもあります)
  2. 実際、DoCoMo使用者と通話する時間よりも、au使用者と通話する時間の方が圧倒的に多くなってきています。(と思います。)
  3. しかし、それだけだったら、慢性的に以前から続いていた状態ですが、今回決め手になったのは、携帯の機種変更をするに当たっての、価格の違いでした。auはゼロ円だったのに対し、DoCoMoは安くても2万程度。auキャッシュバックキャンペーンなども考えれば、中途解約に伴う費用も、霞んできます。
  4. 気持ちの面では、まだ使える携帯を使えなくしてまで新しいものを買う、ということへの抵抗感も強くありましたが、今回携帯が完全に壊れたことで、そのような精神的障壁もなくなりました。

ゼロ円なのにすごい携帯でした。

これは余談ですが、今回購入した機種は、SOY01(Premier3、プレミアキューブ)です。

ヴィクトリー中野店というところでゼロ円で買ったのですが、これがなかなか、期待をはるかに上回るすぐれものでした。

  1. ワンセグに対応しています。これは、今まで使っていた携帯と比較した場合に、とても大きなことです。背景としては、自分の家に事実上テレビがないこともあります。尤も、今回購入に当たり、で本体価格ゼロ円になっていた機種が(ほぼ?)すべてワンセグに対応していたのは、自分にとってはうれしい驚きでした。
  2. さらに、FMを聞くことができます。実際には、これが決定的要素となりました。で本体価格ゼロ円になっていた機種のうち、FM放送にも対応していたのは、Premier3のみだったのです。他の機種では、よりカメラとしての性能を高めたものもありましたが、結局カメラという意味ではデジカメの方が優れているだろうし、データ容量の問題や、PCへのデータ移行が円滑にできるかどうかという問題を解決できるかどうかも怪しいと思ったため、このFM機能を決め手とすることにしました。
  3. Premier3には、付属品として卓上ホルダも付いていて、何とその卓上ホルダがスピーカーとしての役割も果たすのです。これもまた、実際に自宅でワンセグを見たりFMを聞いたりする上では、大きなことです。
  4. さらに、付属品としてイヤホンも付いています。この、携帯用のイヤホンは、以前から、あると便利だなあと思いつつ、わざわざ買うこともないと思っていたものだったので、これも大きなことです。これにより、公共空間(電車・バス等)や喧噪の中(自転車等)でも、FM・音楽の再生機器として携帯を使用することができます。
  5. Premier3は、通常の他の折りたたみ型携帯と同じように上下方向に開くだけでなく、左右方向にも開くことができます。これは、ワンセグを見る際に便利であるし、そもそも面白いですね。ただ、それにより、可動部が複雑になっていると思うので、本体の寿命に影響しないかが心配です。
  6. その他に、microSDカードが標準付属品として付いていたり、PCとの間でのデータ移行についても、標準付属品のみで差支えなく使えるようになっているようです。FeliCa機能も付いているようで、いつかお世話になる時が来るかも知れません。

コア機能でも、幾つか違いがありました。

  1. DoCoMoでは選択受信という機能を使っていたのですが、auでは、差出人名・件名のみ受信という設定が、ほぼ同様の目的のために使えるようですね。この二つの設定・機能は、目的がほぼ同様である一方、その目的を達成するためのアプローチはかなり異なるので、実はDoCoMoでも差出人名・件名のみ受信という設定・機能が提供されていたりしていたのかな、とも思います。とにかく、この設定は、選択受信よりも便利なのではないかと思っています。選択受信では、大量のメールを保留状態にしておくことは非現実的(受信・削除を選択する画面のデータ量が増えていく上、新たにiモードセンターに届いたメールなのかどうかが瞬時には判断しにくくなってしまうため)でしたが、この差出人名・件名のみ受信にしておく分には、本文を受信しないメールを置いておいてもあまり不自然ではないように感じます。
  2. auでは、UIMカードに、電話帳を保存する機能が無いようですね。これが実質的な便利さに影響するのかどうかは何とも言えませんが、今まではFOMAカードの登録上限数50件を一つの目安にして、あまり使わない連絡先をウェブ上での保存に切り替えたりしていたのですが、そういう制限がなくなると、携帯の電話帳が今まで以上に膨張していきそうです。
  3. 電話帳の連絡先検索方法として、電話番号検索が無いようですね。これは、あってもそれほど使いませんが、まぁ、あればあるに越したことはない、機能でした。
  4. 家族割では、通話が事実上無料になるようですね。これは、DoCoMoでも同様だったのかも知れませんが。一方で、DoCoMoではiモードメールも無料になっていたと思いますが、auの家族割で、それに当たるのは、Cメールが無料になるということですね。DoCoMoのメール系機能がiモードに集中していた(ように見えた)のに対しauではSMSであるCメールも並行して打ち出している、というのは興味深いことです。
  5. DoCoMoで今まで使っていた携帯では、どの機種にも、着信時に携帯を開いた時に自動的に通話状態にする、という設定がありました。auでは、少なくともPremier3では、そのような設定はないようですね。まぁ、すぐに慣れるとは思いますが、意外と便利な設定だったことが今になってわかります。
  6. 今まで使っていた携帯では、各数字キーにショートカットを割り振ることができて、待受画面で長押しすることで、それぞれの機能に直接移動することができました。auPremier3)にも、カスタムメニュー機能はありますが、ショートカットキーの機能は無いようですね。
  7. マナーモードは、サイドキーからしか設定できないのでしょうか。これは、au一般の話ではなく、Premier3固有の話だと思いますが、マナーモードの設定方法が、もっと楽にならないものかと思います。
  8. ちなみに、乗換検索を使用する機会がありましたが、auではNAVITIMEのみをau one トップから案内しているようですね。乗車位置が表示されるなど、DoCoMoで使用していた乗換検索より、便利な気もします。ただ、これはDoCoMoを使用している時にも感じていましたが、乗換検索の核である、より多様な選択肢から検索結果を表示する能力は、Infoseek乗換案内(≒駅前探検倶楽部)が最も高いのではないかと思っています。勿論、比較すべき機能には、それ以外にも、乗車位置が表示される、一本前・一本後検索(Yahoo!路線情報駅すぱあと)等もありますけどね。
  9. 電池残量表示が1になってからの持ちが長いような気もします。しかしこれは、auだからなのでしょうか、それとも端末メーカーの違いによるものでしょうか。

2009-07-25

遠刈田と鳴子(宿・立寄り地以外の条件)

遠刈田

一日目
東銀座 13:43 160円
銀座 13:45
13:48
東京 13:51
14:08 6620円(※)+4300円
白石蔵王 16:02
16:25 920円 下記レンタカー利用の場合は利用なし
遠刈田湯の町 17:12
二日目
遠刈田湯の町 15:50 920円 下記レンタカー利用の場合は利用なし
白石蔵王 16:37
17:03 (※)+840円
仙台 17:17
17:24 (※)
石巻 18:47

レンタカー

白石蔵王 古川 鳴子温泉 軽(P0/K-A/K/K-1) コンパクト スタンダード
日産レンタカー23ボーナスクラブ料金 白石蔵王駅前 古川駅前 ピノ/モコ/オッティ P1(マーチ P2(ノート/キューブ P3(ティーダ/ティーダラティオ/ウィングロード1.5
5775円 6825円 7875円 8505円
ニッポンレンタカースーパーレッドメンバー料金/標準コース 白石蔵王駅前 古川駅前 ワゴンR/ムーヴ/ステラ/ライフ/ekワゴン他 S-H(ブーン/ソリオ/スプラッシュ他) S-S(フィット/ヴィッツ/デミオ/スイフト/マーチ他) S-A(カローラ/ラティオ/SX-4/アクセラ/インプレッサ他)
7140円 7560円 8715円 9975円
駅レンタカー 白石蔵王 古川 鳴子温泉 ワゴンR/モコ/AZワゴン/オッティ他 S(フィット/ヴィッツ/ノート/マーチ/デミオ他) A(カローラ、ティーダ、アクセラ、ラティオ他)
5770円 6820円 9450円
マツダレンタカーWeb会員クラス指定料金(車種指定時は基本料金の5%分上乗せ)) 古川駅前 AZワゴン/キャロル/スピアーノ C-0(ブーン C-1(デミオ C-2(ベリーサ/アクセラ/アクセラスポーツ
4620円 5460円 5880円 7560円
トヨタレンタカー(提携カード使用・インターネットクラス指定申込で各5%割引 古川 P1(ヴィッツ/パッソ/iQ P2(ベルタ/ラクティス/イスト/シエンタ/ポルテ P3(カローラ/カローラアクシオ/プリウス/カローラフィールダー
6825円 7875円 9450円

2009-07-20

携帯が真っ二つ

前から使っていた携帯が、真っ二つに壊れてしまいました。

事の発端は、電池の充電を忘れていたこと。それも、単に忘れていたというだけではない(?)事情があります。というのも、既に予備の電池を二個も買ってあったのです。(おまけに、充電器も、故障により買い換えたばかりでした。)最近、電池の消耗の速さが気になっていた一方で、以前のように充電器を持ち歩くようなことは避けたい、かと言って簡易充電器を持ち運ぶのも面倒、という思いがあったためでした。そこまでして、電池切れへの対策を練っていた(?)のですが、この時ばかりは、合計三つある電池のうちの一つの充電を忘れた状態で外出してしまい、簡易充電器を使用していました。

しかし、簡易充電器を付着した状態で使うことの欠点は、そのままポケットへしまえないことです。恐らく簡易充電器を差し込んだままで携帯電話をポケットへ入れたら、歩いたり自転車をこいだりしている時に、電話と充電器の接合部分が、折れてしまうでしょう。

そこで今回は、簡易充電器を差し込んだ携帯電話を、鞄の中へ入れてあります。しかも、鞄の中に入れていると言っても、かなりいっぱいに詰まった鞄の中身の一番上に入れ、鞄のチャックも開けていたのでした。携帯電話を、外からでも容易に取り出せるようにするためです。

さて、その結果何が起こったか。今回の「その時」は、2009年7月20日、午前9時頃です。晴海通り祝田橋方面から、日比谷交差点を渡って、丸の内警察署前の歩道へ曲がり、休日の朝なのにお巡りさんが数人歩いてるなぁ、と思いながら自転車をこいでいたら、突然バキッ!歩道の凹凸で、前籠の中にあった鞄から跳ね出た携帯電話が、後輪の目の前に落ち、見事後輪により切断されていたのでした。ちゃんちゃん。

なお、これにより、当分は携帯電話が使用できないことになります。悪しからず。

2009-06-28

XMLはコンテントネゴシエーションするか

XMLを中心に構築したウェブサイトで、英語版を作るに当って、HTMLに対してと同様にコンテントネゴシエーションが使えるのか、という疑問です。

結論としては、最適なリソースの表現を選択する際、一つにはメディアタイプの優先傾向に基づいて行われる以上、サーバ上でXMLにメディアタイプが割振られてさえいれば、XMLに対してもコンテントネゴシエーションは有効であるはずです。例えば、[Studying HTTP] Content Negotiationというページでも、コンテントネゴシエーションの例としてXMLファイルが挙げられています。

ちなみに、使っているサーバがコンテントネゴシエーション自体に対応しているかどうかについては、例えばファイル名indexを指定してindex.xmlを読み込むかどうかを確認してみればいいんですね。

2009-06-07

とりあえず、全記事一覧を持ってくる

asahi.comのサイドバーが更新終了した件につき、コメントをいただきました。そもそもasahi.comサイドバーに入れていたのは、専用のasahi.comサイドバーが提供されていたので楽だったためであって、何もasahi.comを特段見たいというわけではなく、理想的にはGmailウェブクリップで購読しているようなRSS類を表示するようにできるといいんですよね。とは言え、せっかく頂いたコメントなので、それに応えてみようと、ちょっと考えてみました。

とりあえずasahi.comサイドバーの内容とするには、どのようにするのがよいか。コメントでは、トップページを入れればよいというご提案をいただきましたが、トップページには若干余計な要素が多く、サイドバーに適するかどうかが微妙なところです。そこで見つけたのが、全記事一覧。このページから余計な要素を排除するスタイルシートを適用してみてはどうでしょうか。

そこで、自分が作成してみたコードは、下記のとおり。これをuserContent.cssの任意の部分に挿入すれば、適用できます。

@-moz-document url(http://www.asahi.com/news/list.html) { #Container>*:not(#Contents), #Contents>*:not(#Main), #Main>*:not(#MainInner), #MainInner>ul~*, #Sub, div.BnrLnkSbs, [id^=js], .mt10, .Box1, [target="_top"], h1 {display:none;} #Container * {border-top:none!important;background:none!important;margin:0!important;padding:0!important;} ul.Lnk > li {width:10em;display:list-item;list-style-type:disk!important;border-bottom:thin solid orange;} ul.Lnk {list-style-type:disk!important;} }

注意点としては、こんなものがあります。

  • 当然ですが、サイドバーではなしにメインウィンドウで開いても、(サイドバー内での表示と)同じ表示になります。(userChrome.cssをいじるなり参照するなりすれば、サイドバー内でのみ有効なスタイルシートを作れるのでしょうか。)
  • 上記と関係するかも知れませんが、!importantで強引に全適用している部分、最初は完全に全適用していましたが、そうするとサイドバー内のスクロールバーの表示が異常になってしまいました。結果的には、一意セレクタContainerの子要素のみ全称にしたところ回復したのですが、ということは、サイドバー部分を指す何らかの別の親要素があるということでしょうか。
  • Flashで作成されている広告が、どうしても消せなくて、残っています。(消せる方法がわかったら教えてください。)今の自分の環境(Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 6.0; en-US; rv:1.8.1.19) Gecko/20081204 SeaMonkey/1.1.14)では、右下に表示されます。
  • 表示幅は、本来はサイドバーの表示幅に対する比率で表示したいところなのですが、それが難しそうだったので、自分がよく使う10文字分にしてあります。
  • asahi.comサイドバーと同様な箇条書きにしようと思ったのですが、なかなか言うことをきかないので諦め、項目間に線を引くことにしました。逆にこの方が表示領域を最大限活用出来るという意味ではよかったような気もします。色が橙色なのは、適当な自分の好みです。
  • リンク先をメインウィンドウ内に表示するためには各リンクのtarget属性に_content値が入っていないといけないそうです。当然ながらそこまではユーザースタイルシートでは実現できないので、実際にサイドバー内のリンク先をメインウィンドウへ表示させるには、ドラッグ&ドロップで移動させたりする必要があります。
  • display:none;で消そうとしている要素には、余計なものや無効なものもあるかも知れません。

この結果、表示は、例えばこのようになります。

表示結果

2009-06-01

asahi.comのサイドバーが、終了

asahi.comのネットスケープ用サイドバーは、2009年6月5日で終了します。RSS、ツールバーなどをご利用ください。

だそうです。6月5日・・・て、すぐじゃないですか!!というのはまぁいいとしても、寂しいですね。既に、WeatherEyeサイドバー提供を停止しています。日刊スポーツのサイドバーも、まだ存在はしていたものの、更新がなされていないようです。

実際、関連サイトや履歴と異なり、単に更新情報としてHTMLファイルを表示するだけであれば、本質的にはRSSフィードと変わりません。即ち、RSSフィードの情報を加工し、HTML化することで、現在のサイドバーと同様な機能・表示をさせることが可能なはずですが・・・そんな加工をちゃちゃっとやってしまうような知識は、自分にはありません。何とかならんもんでしょうかね・・・。

画面図

2009-05-31

献血りました。

ふらっと、久しぶりに献血へ行ってきました。三年ぶりでした。ここ数年は、アトピーがひどく、献血のための注射をしてもらえなかったのです。

今回も、献血ルームへ行ったのは、だめもとでした。ところが、検査を通過し、無事に献血をすることができたのです。針が多少は痛かったものの、良かったです。

2009-05-30

インターネットが開通しました。

イー・モバイルADSLサービスが、使えるようになりました。

数日来、毎日のように宅急便でモデムが送られてきてはいたのですが、受け取ることができていませんでした。しかし、工事予定日が今日午前だったので、その時には持っておきたいなぁ、しかしもう手遅れかな・・・と思いつつ、今朝8時過ぎに電話で再配達を依頼したところ・・・受け付けてもらえました。ご案内としては、午前指定は当日7:00までとなっていますが、電話申込だからできたのか、サービスとしての特別措置なのか。いずれにせよ、自分がトシマで配送をやった時の感覚から言えば、午前指定が朝8時に来るなんてあり得ないです。結局10時頃持って来てくれたのですが、配送員の方はすごく急いでいるようでした。ほんと、すみません・・・。

その後、とりあえず設置してみようと、接続作業をやってみましたが、何分古いパソコンである上に保管状態もあまり良いとは言えず、パソコンの自体で手間取っていました。何かと言えば、使いづらいし好きではないのでInternet Explorerは使いたくなくて、SeaMonkeyOpera辺りが入れてあるはず。ところが、そのアプリケーションを実行するファイルをどこに置いたかがいまいちわからないのです。デスクトップにあるショートカットはGetFlash.exeなどを参照しているし。なぜかDドライブの一番上にSeaMonkey.exeがあったものの、それを起動しても、エラーで立ち上がらない。Operaの実行ファイルも、見つかりはしたものの、なぜか働かない。

そんなこんなをしているうちに、工事をする人が来てくれました。本来は管理人室のMDFなるものをいじらなければならないところ、前に住んでいた人が出て行ったあとに設定を変更していなかったために、今回幸運にも特に作業なしで大丈夫だったようです。ほんとに、つながっているかどうか会社の方(?)と連絡をとって、それで終わりという感じでした。開通予定日が工事の翌日であったため、設定上インターネットが使えるのは翌日になってからになるかも知れない、と言われたのですが、実際はすぐに使えるようになっていました。そうなると、その人が来る前に試しに接続してみればできていたはずなわけで、来てもらう必要なかったんじゃん?というところでもあるわけですが、まぁしかし、何があるかわかりませんし、専門の人の問題ないというお墨付きは、大事なのでしょう。そういう仕事も、今回のように何事もなければよいでしょうが、一度何かあった時には、大変なのでしょうね。

結局、既存のSeaMonkeyOpera(らしきもの)を一度削除した上で、Internet ExplorerからSeaMonkeyのインストーラをダウンロードし、SeaMonkeyをインストールしました。しかしそれだけの作業だけでも、まず回線のせいなのかダウンロードが遅いし、ダウンロードはしたもののなぜか起動しない。もう一度繰り返してみて、ようやくインストールできました。

というわけで、自宅でインターネットが使えるようになったわけですが、回線環境の面でもパソコンの性能の面でも守旧的なので、まだまだ以前のようにはいかなさそうです。

2009-05-24

地球儀が、欲しいなぁ。

地球儀が欲しいなぁ。突然、そう思いました。仕事にしても、それ以外の生活にしても、普通に過ごしていると思考の幅がどんどん狭くなっていきそうで。まぁ、目の前の仕事や課題に集中するという意味では、むしろそっちの方が自分には必要とされているのかも知れませんが。

どんなものが世の中にはあるのか、様子を見るために参照したのが、@nifty:デイリーポータルZウェブ検索したところ、期待通り記事が見つかりました。そこで紹介されていた、リブラ。これがいいなぁと思いつつ、楽天で買うのか、どうするのか考えようと、しばらく時間をおくことにしました。

しかし、職場に行って、気付いたこと。部長の机の上に、小さな地球儀が置いてあるではありませんか!!しまった・・・。やっぱり、二番煎じは面白くないですからね。どうしようかな・・・。一つの案として、地球以外にも月とか幾つかの星が模型化されているものがどこかで紹介されていたような気がするのですが・・・。実用的かどうかはともかくとして、ネタとしては面白いかなぁ、と。しかし、天体儀なるものは幾つか見つかりますが、地球に近い星だけ、というスケールのものは、見当たりませんね・・・。

2009-05-23

議論の、大きさ

予算、と銘打って考えを述べてみたものの、やっぱり、考えてることが、ALSAの時より、だいぶ小さくなってる気がしますなぁ・・・。いや、物事は具体的な事例の積み重ねだし、具体的な局面を適切に解決できない大方針は望ましくないんだから、悪くはない、か・・・?

しかし、この問題の本質がどこにあるか、をもっと突き詰めて考えられれば、もっと大きな視野で物事を考えられるような気がします。さて、この問題の本質はどこにあるんだろう・・・。

例えば・・・国策として行うべき事業と、独立で行うべき(政治的影響力を受けるべきでない)だけども採算が取れないので国が(強力に)補助すべき事業の違い、でしょうか。今度国政選挙があったら、この問題についての考えを各政党に聞いてみようかな・・・(どうやって??)。

2009-05-22

予算

思い付きですが・・・、思い付いたことを書いてみます。思い付きですが。誰か、ディベートの論題にでも使ってくれないかな・・・。(どうでしょう、ALSAの皆さん・・・可能な範囲で協力は惜しみませんので。笑)

組織の設置目的上事業の成果が短期的には見えにくい公的機関の予算は、国の財政支出全体に対して一定比率を保つものとする。(その比率は中期計画の期間ごとに見直す。としてもよい。)

以下、補足です。

  • まず、メリットとして、予算獲得(維持)のために費やす経営資源を縮小し、本来の業務のために必要な任務に振り分けることができるのではないか、ということが挙げられる・・・ような気がします。
    • ただ、毎年の予算要求が業務改善のモチベーションになっていると考えるなら、それをなくしてしまうことは、業務改善の速度を落とすことになる。
      • しかし、実態としては、業務改善と予算要求はあまり関連付けられていないのではないか・・・と思います。(例えば、極端に言えば、業務効率化によって必要な経営資源が減少したとしても、その分予算額が減らされるのオチ・・・なような気もしなくはありません。)
  • 業務改善努力の監視・評価という意味では、予算要求の際の査定が多少はその役割を担っているかも知れませんが、それ以上に、評価そのものを行う取組があります。評価されること自体が業務に負担をかけていることを考えると、行政的に評価する仕組みが一本化されることは業務改善という意味でも望ましい・・・ような気もしなくはありません。
  • 予算要求作業がなくなることにより所管官庁との結び付きが弱まり、国策との整合性が取りにくくなる、ということであれば、上述の評価事業を、所管官庁が行うようにしてはどうでしょうか・・・と思います。
  • 国策として予算を付けて事業を執行させることができなくなる、ということであれば、そのような国策事業は別途使途に制限のある補助金として拠出するようにしてはいいのではないか・・・と思います。

何分思い付きなので、至らない点が多いとは思いますし、あまり業務内容を公開するわけにもいかないので、その点でもわかりにくいかも知れませんが、(特に)顔の見える皆様からご意見をいただけましたら、(自分の考えを深める上での)参考として、とてもありがたいです。メールでもコメントでも何でも構いませんので、もしありましたら、よろしくお願いします・・・。

2009-05-21

RAC

結構前の話になりますが、RACというものに、参加させてもらいました。参加と言っても、一番下っ端の仕事をやらせてもらっただけですけども、運営者という意識を持たせてもらいつつ適度に暇であるという、何とも絶妙のポジションでした。

しかし、このRACというのは、恐らくすごい会議なのではないかなと思うのですが、いかんせん体系的に公開されている情報が少ないのが、歯痒い所です。ウェブ上で参照するとしたら、独立行政法人理化学研究所に関する評価活動についてでしょうか。資料自体は内部の人が作っているとは言え、最初に参照すべき文書が役所のもの(と考えられ得る)というのは、とても残念なことです(Googleの検索結果表示順の問題である可能性も、否定はありませんが・・・)。

この会議を見て、学生が行う会議との違い、ということも、少し考えさせられました。自分の感想としては、中身や参加者の質にはだいぶ大きな違いがあるとしても、形式的な部分(運営、進行)については、ALSAとあまり変わらず、むしろALSAの方が優れている部分もあったような気がします。両者の、本質的な違いは、何なのでしょう。

このように考えてみてはどうでしょうか。業務である場合は、確かに、個人の収入における存在感(労働収入が全収入であることが普通、と言ってもよいのでは?と思いますが、どうでしょうか)や社会的生活における存在感(常勤であれば、買い物などを除けば家庭外の人と接する時間の殆どが仕事関係、と言っても差支えないのでは?と思いますが、一般論としてはいかがでしょうか)から、(事実上)仕事が一番大事になっているとは思います。しかし、逆にそうであればあるほど、心の中では、それに反発する部分も強くなるのではないかと・・・勝手に考えます。つまり、典型的に言えば、建前としては仕事が一番大事だけれども、本音としては、プライベートの方が大事、ということです。必要な経済的・社会的利益を確保するのに十分な範囲内であれば、仕事にかける労力は最低限にしたい、ということになるのではないでしょうか。

一方で、サークルの場合はどうでしょうか。基本的に、サークルの会議運営に参加したところで、金銭的な収入がもたらされることはないのではないでしょうか。むしろ持ち出しの方が多かったような気がします。金銭的な束縛がない分、時間的に拘束する力もどうしても弱くならざるを得ません。それでも尚会議運営に力を注ぐのは、本音として、その業務に携わりたいから、なのではないでしょうか。

そのように考えると、社会人として学生に見習わなければならないのはそのような(本心からの)モチベーションであり、逆に、学生として活動することの本質は、その活動に(派生的な)見返りを期待しない、ということなのではないかと思います。そして、そのモチベーションにこそ、金銭的に支えられている業務に比肩するようなレベルへ学生の活動が到達することのできる、可能性が隠されているのではないでしょうか。

だからこそ、ALSAとしても、利益誘導(キャリア形成や能力開発や就職斡旋、極端に言えば報奨金や単位取得)によって人的資源を集めることは極力避けなければならないし、社会的に会員を拘束することも、良くないことであるかも知れません(≒兼サー等他のコミュニティにも社会的関わりを強くしておくことが望ましい、ということです。但し、精神的には一つのコミュニティに帰属意識を持っていた方が安定する、という面もあると思うので、無理をしてはいけません。ただ、それができることは重要な能力だと思います)。

そして、これが、自分の信条のようにもなっている、仕事とプライベートの融合だと思います。(時によって言葉遣いは違っていると思いますし、そもそもウェブ上で言ったことはないようなので、確実に言っていると言える根拠は薄弱なのですが・・・。苦笑)

2009-05-06

インターネットにつながってません

ご無沙汰しております。おかげさまで、何とか社会人となることができました。所属等につきましては、mixiコミュニティGREEキーワードをご参照。三月は、卒業が決まるとともに、それまでいまいち切迫感がなくてやっていなかった作業が怒涛のように押し寄せ、ちょびっと旅行なぞにも行ったりしているうちに四月になり、今に至ります。

掲題の件ですが・・・正確には、インターネットにつながっていないと言うと語弊があります。正しくは、インターネットへの接続端末がほぼ携帯電話のみになっているということです。長期にわたってこんな状態になるのは、本格的にインターネットを利用し始めてから初めてですが、結果として何が今までと違うか?携帯電話からだと、パケット代を気にしてしまう上に、操作がとても面倒。インターネットの利用が、本当に限られた、必要最低限のものになってしまいました。ブログ?そんなものやりません。mixi?そんなもの見るわけないじゃないですか。利用しているのは、実用上最低限のメール、そして乗換案内です。

しかし・・・徐々に不都合な面も表れてきている気がします。例えば、世間の情報が入って来ない、とか。新聞を取ればいいと言えばそうなのですが、3000円とかを払うなら、インターネット回線が契約できてしまいます。メールも、送ろうか送るまいか迷ったら、送らないで済ませてしまいます。送るにしても、必要最低限のことしか書いておらず、自分でも、素っ気なさ過ぎかな、と思うことがあります。もっと書こうにも、パケット代が気になる上に操作が面倒とあっては、どうしても気持ちは簡素化に傾きます。

・・・というわけで、そろそろ身の回りも落ち着いてきたことだし、インターネット回線を契約しようかと思い立ちました。とりあえず家電量販店を訪ね、言われるままに、まずはYahoo! BBフレッツ光を比較します。今住んでいる集合住宅に光回線が来ているのなら、価格的にも通信速度的にも後者がよい、とのことでした。しかし、価格もさることながら、どちらにしても二年程度の単位での契約が前提になるというところで、二の足を踏みます。携帯電話の契約で、苦い思いをしているからです。念のため、イー・モバイルデータ通信も比較します。こちらは、新しくネットブックを購入する場合に、とても魅力的になってくるようでした。しかし・・・古いとは言え、一応は動く今のパソコンをお蔵入りさせる前提では話を進めたくありません。イー・モバイルの場合に必要なデータカードは、ほぼ確実に今のパソコンでは対応できないのです。この三者を比較した上で、更に時間をおきます。家で、もう一度自分の目でパンフレットをよく見てみました。イー・モバイル、いいんだけどなぁ。なになに・・・。よく見たら、ADSLサービスもあるではありませんか。契約単価がフレッツ光よりも安い上に、契約も月単位。改めて家電量販店を訪れ説明を聞き、キャンペーンによる商品券サービスや通信速度の点からフレッツ光を薦められたものの・・・結局、とりあえずはイー・モバイルADSLサービスにしてみることにしました。おそらく六月になるかならないかの頃には、ネットが開通していることでしょう。

2009-03-17

追いコンに一年生が(殆ど)いない

追いコンの、参加者の一覧が届きました。公開したらまずいのかな・・・。ま、大学・学年ごとの数値なら問題ないでしょう。

LC 一年 二年 三年 四年 合計 比率
早稲田大学 0 6 5 8 19 40%
中央大学 0 3 11 2 16 33%
東京大学 1 1 0 3 5 10%
一橋大学 0 1 0 3 4 8%
立教大学 2 0 0 0 2 4%
東海大学 0 0 1 1 2 4%
合計 3 11 17 17 48 100%
比率 6% 23% 35% 35% 100%

というわけで、一年生が殆どいません。三人というのも、あまり言うと本人に失礼かも知れませんが、次のSTの実行委員長だったり、新規LCの立ち上げメンバーだったりと、まぁ自分が以前OBOG交流会に参加した時のように、業務上の使命を帯びて参加していると勘ぐられても仕方のない布陣です。自分に言わせれば、純粋に自発的に参加している一年生はゼロ、です。

さて、この状況を見て、自分は直感的にあり得ない、だめだ、と思ったわけですが、それはなぜなのでしょうか。そもそも、追いコンとは何か。追いコンとは、追い出しコンパ。卒業生に感謝を表し、気持ちよく送り出すためのもの。だから、卒業生を知っている人が集まって、昔を懐かしみつつ盛り上がるもの。果たして、そうなのでしょうか。

知っている人同士でやりたいなら、わざわざALSAという名前を使ってやる必要はないでしょう。送り出したいと思う下級生が、送り出したいと思う卒業生に対して、私的に開けばよいでしょう。その方が気持ちも伝わる。では、なぜそうしないか。一緒にやった方が費用が抑えられるから?本来私的な行事を、費用を抑えるためにALSAの行事として行うのは、果たして適切なのでしょうか。私的な追いコンばかりだと、卒業生同士で呼ばれる人とそうでない人の格差が生まれてしまい、かわいそうだから?それは確かに、重要な問題です。しかし、制度的にそういう配慮をし始めると、肝心の気持ちが失われ、行事が形式化するのではないでしょうか。では、追いコンは、個人的な送り出したいという意思の集合体ではなく、ALSA日本という組織として卒業生を送り出す、という場なのでしょうか。そうなのかも知れません。しかしそれなら、二年生と並んで実質的に現在のALSA日本の活動の中心を担っている一年生は、やはり参加すべきでしょう。

しかし、個人的な意思の集合としてにせよ、ALSA日本という組織としてにせよ、卒業生を送り出す、というところに本質的な目的を設定するのには、やはり違和感があります。卒業生と一口に言ったって、その彼らがALSAに対して行ってきたことは確実に功罪があるわけで(の部分に関して転んでもただでは起きぬとか災い転じて福となすを実行するのは後輩の役割かも知れませんが)、人によっては負の影響ばかり、という人もいないとは限りません。でも、そういう人だからと言って、排除すべきではないですよね。そういう人に対して、感謝して送り出す、というのは、考えようによっては、嫌味ですらあります。そうなると、追いコンの真の目的は、実は、卒業生を追い出すことではないのではないでしょうか。

こう考えてみてはどうでしょうか。組織としての文化・歴史を継承していく場、と。もちろん、組織としてと言っても、それはつまるところ人のつながりではありますが。だいたい、(自分自身はその慣習にはあまり賛成しませんが、一般的には)上級生は、普段のALSAの活動に来なくなる人が多いですね。実際、仮に多くの上級生がいつまでも活動に参加し続けたら、それはそれで鬱陶しいものなのでしょう。しかし、下級生としては、そんな上級生からも、学ぶべきことは、きっとあるはずです。それに、人脈は、そういう上級生と知己を得ることで、さらにその上へ続いていくわけですから。だから、上級生がALSAの活動に参加することの長所・短所を比較衡量した結果、彼らが卒業していなくなる前に一度くらいは、会う機会を設けてもいいんじゃないか、ということなのではないでしょうか。会議などではなく飲み会といううちとけた場でもあるし、年に一回くらいなら、上級生との付き合いが面倒くさくても我慢できる範囲になるのではないか、今まではそうだったのではないか、と思います。記憶が美化されているだけなのかも知れませんが。

いずれにせよ、今回の件は、自分が以前述べた、通常活動への上級生の参加が回避される傾向があることの裏返しである気がしてなりません。元はと言えば、CMが二月九月に変更になって、上級生が参加しにくくなったり、役員選挙に一年生が出にくくなったことも関係してくるかも知れません。かれこれ三年も前に議論された事がこんな形でじわじわと影響力を発揮してくるのかと考えると、ある意味では感慨深いものがありますが、それは、自分が初めから理想と考えていたALSA像から実際のALSAが遠のいていく過程なのかも知れない、と考えると寂しくもなります。

まぁ、無事卒業も決まったらしいことですし、自分が過去に所属した組織のことをじくじく考えるのは、そろそろやめにしましょうか。自分は、高校の時も、そうやって過去から卒業してきたはず。もちろん、自分が直接的に関わる可能性がある場合には、それなりの意思表明をしますけれども。それが、今回に関しては、今のままでは、追いコンには参加しない、ということです。

2009-03-15

宛先の表示名をどうしましょうか。

メールを送ろうと思って、ふと立ち止まりました。今まで、基本的には送信者が使う差出人名を自分からメールを送る際の表示名にもしていましたが、果たして今後も、それでいいのだろうか、と。

今まで表示名を送信者が使う差出人名と同じにしていたのは、自分のところへ来るメールと自分から出すメールで、同じアドレスでありながら名前が異なるのは変な気がしていたから、です。でも、考えてみると、自分でも、差出人名とは異なる表示名を使っている、使っていたことがありました。

一つは、CCDL業務です。三年程前に一度、表示名の設定方法が明示的に統一されました。例えば、先生ならProf.+名字[アルファベット]、社員スタッフならCCDLStaff+名字[アルファベット]、学生スタッフならCCDL-[ハイフン]+名字[アルファベット]という風に。送られてくるメールの差出人名は本当にそれぞれですが、こちらから送る際の表示名はこのように統一された形式になっていました。

私用でも、差出人名をそのまま使っていない例が少しあります。それは、FreeMLで設定されたニックネームです。なぜかFreeMLのメーリングリスト上では本人と結び付かないようなニックネームを名乗る人が多いような気がするのです。だから、そのような場合は、ニックネーム(本名[氏名])という形式にしています。

というような現状を踏まえて、今、どうすることが自分にとって最適なのか。社会人というのは今までとは違うのだから、そういうところも含めて切り替える、というのも良いかも知れません。或いは、CCDLのように、業務用のアドレスを使っているかどうかで分けてもいいような気もします。そう考えると、業務用のアドレスがまだない今は問題だけども、業務用のアドレスが取得できれば迷うことはなくなる、という類の問題かも知れません。