2009-05-21

RAC

結構前の話になりますが、RACというものに、参加させてもらいました。参加と言っても、一番下っ端の仕事をやらせてもらっただけですけども、運営者という意識を持たせてもらいつつ適度に暇であるという、何とも絶妙のポジションでした。

しかし、このRACというのは、恐らくすごい会議なのではないかなと思うのですが、いかんせん体系的に公開されている情報が少ないのが、歯痒い所です。ウェブ上で参照するとしたら、独立行政法人理化学研究所に関する評価活動についてでしょうか。資料自体は内部の人が作っているとは言え、最初に参照すべき文書が役所のもの(と考えられ得る)というのは、とても残念なことです(Googleの検索結果表示順の問題である可能性も、否定はありませんが・・・)。

この会議を見て、学生が行う会議との違い、ということも、少し考えさせられました。自分の感想としては、中身や参加者の質にはだいぶ大きな違いがあるとしても、形式的な部分(運営、進行)については、ALSAとあまり変わらず、むしろALSAの方が優れている部分もあったような気がします。両者の、本質的な違いは、何なのでしょう。

このように考えてみてはどうでしょうか。業務である場合は、確かに、個人の収入における存在感(労働収入が全収入であることが普通、と言ってもよいのでは?と思いますが、どうでしょうか)や社会的生活における存在感(常勤であれば、買い物などを除けば家庭外の人と接する時間の殆どが仕事関係、と言っても差支えないのでは?と思いますが、一般論としてはいかがでしょうか)から、(事実上)仕事が一番大事になっているとは思います。しかし、逆にそうであればあるほど、心の中では、それに反発する部分も強くなるのではないかと・・・勝手に考えます。つまり、典型的に言えば、建前としては仕事が一番大事だけれども、本音としては、プライベートの方が大事、ということです。必要な経済的・社会的利益を確保するのに十分な範囲内であれば、仕事にかける労力は最低限にしたい、ということになるのではないでしょうか。

一方で、サークルの場合はどうでしょうか。基本的に、サークルの会議運営に参加したところで、金銭的な収入がもたらされることはないのではないでしょうか。むしろ持ち出しの方が多かったような気がします。金銭的な束縛がない分、時間的に拘束する力もどうしても弱くならざるを得ません。それでも尚会議運営に力を注ぐのは、本音として、その業務に携わりたいから、なのではないでしょうか。

そのように考えると、社会人として学生に見習わなければならないのはそのような(本心からの)モチベーションであり、逆に、学生として活動することの本質は、その活動に(派生的な)見返りを期待しない、ということなのではないかと思います。そして、そのモチベーションにこそ、金銭的に支えられている業務に比肩するようなレベルへ学生の活動が到達することのできる、可能性が隠されているのではないでしょうか。

だからこそ、ALSAとしても、利益誘導(キャリア形成や能力開発や就職斡旋、極端に言えば報奨金や単位取得)によって人的資源を集めることは極力避けなければならないし、社会的に会員を拘束することも、良くないことであるかも知れません(≒兼サー等他のコミュニティにも社会的関わりを強くしておくことが望ましい、ということです。但し、精神的には一つのコミュニティに帰属意識を持っていた方が安定する、という面もあると思うので、無理をしてはいけません。ただ、それができることは重要な能力だと思います)。

そして、これが、自分の信条のようにもなっている、仕事とプライベートの融合だと思います。(時によって言葉遣いは違っていると思いますし、そもそもウェブ上で言ったことはないようなので、確実に言っていると言える根拠は薄弱なのですが・・・。苦笑)

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