自分の仕事のことはひとまず置いておいて、自分が所属する組織について、考えてみます。やはり、幸か不幸か、大きな変革を求められている状況であるようだからです。
機会があって、自分の持つ疑問として上司に伝えたことが、一つあります。それは、今、自分が見る限りは国としての方向性と現場としての方向性の調整に終始している気がするが、この組織全体としての方向性を示せないものか、ということです。(この通り伝わっているかどうかは、ともかくとして、言わんとしたことは、です。)
確かに、今までになかった、組織内横断的な施策も新たに企画されておりますが、それも、あくまでも予算を獲得するための戦術としての位置付けか、国にとって重要である、という位置付けになっていると思います。自分が考えたいのは、そのような施策が、我々の組織の進むべき方向性の中でどのように位置付けられるのか、ということです。
それに対する応答としては、現在の独法という組織形態では、国としての方向性を実行するのが我々の組織の役割である、という点と、進むべき方向性と言っても、我々の意思で決めるのではなく、我々を取り巻く環境によって柔軟に変えていくものだ、というような点・・・だったと自分は理解しました。
前者については、確かに法律上そう位置付けられているのは間違いないし、建前としては間違っていないと思います。国に対する説明としては、そうなるんだろうと思います。しかし、国とは距離をおいた組織として百年近い歴史を持つ組織が、外部向けにはともかく、内部においても、そのような思考しかできないとしたら、それは悲しいことだと思います。そして何より、それがある(あるべき)という点が、自分がこの組織に入ろうと決断した重要な要素の一つでさえあるのですから。それに、そもそも、「法律」というのは、本質的には、大前提とすべきものではない、と思います。もちろん、日常業務は法律を頂点とする行政法の体系を大前提としなければなりませんが、組織のあり方そのものを考える際には、法律自体も批判的に検討していくことが一般論として必要ですし、時期としても今はそれができる可能性の高い時期になっているのではないかと思います。
後者については、独法に限らず、サークルでも、会社でも、一般論として言えることだと思います。ALSA内でも、同様な議論をどこかでしていたような気がします。現在のところは、自分の考え方は、変わりません。自分たちの組織を取り巻く環境の変化をシュミレーションし、どのような状況になったらどうするという対応策を考えておくことが大事ですが、その対応策の前提となる、組織としての核となる意思は、本質的には、周囲の環境に左右されるものではない、と思います。ALSAの場合は、その本質的な部分を、(明文としては)規約・会則として自ら決めていたものが、今の我々の組織では、法律という形で外部的に与えられている、というのが、考えを整理しにくくしている要因の一つでもあるのでしょうか。
ちなみに、前者の議論をさらに進めると、ではその組織としての意思の中身としては、何が適切なのか、自分の考え方はどうなのか、ということになります。組織としての意思を持つというコンセンサスのない中でその中身について議論をするのは、議論を矮小化させているような気もしますが、そうだとしても、自分の具体的な案なしに質問ばかりぶつけるのは失礼なことなので、考えなければなりません。
一つの考え方として、現場の、研究者がより自由に研究でき、実力を発揮できる環境を整えることが組織としての意思だ、というような話も聞いたことがあるような気がします。自分(たち)の仕事の出来如何が人の生活を左右する、という責任を指摘されたことも、これと関係するのかも知れません。確かに、仕事上のミスが人に与える重大性は、十分に認識しなければなりません。しかし、ミスレベルの話ではなく、方向性の話をする際には、決して、今いる人たちのため、というのが最重要な方向性ではないことは、組織外部の人と話していて、気付かされました。しかし、そういう話をすると、中にいる人たちのためではなく国のために組織として方向性を定めるべき、という議論になりがちな気がしますが、そのどちらでもない、第三の道があるのではないか、というのが、ここで言わんとしていることです。
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