2009-10-30

友達とは。

土日が暇だ。初めて(?)そう思いました。というのも、週末は基本的に連れと過ごしていて、基本的にそれで暇ではないのですが、その連れに用事があり、夕方まで空くことに。誰かと昼ごはんでも、と思ったけども、いかんせん一緒に行ける人に心当たりがない。何せ、その時すでに11時だったのだから・・・。そんな時、それでも学生時代はそんな暇を持てあますことはなかったなぁ、と思い返します。結局、PC(とインターネット)が使える環境にいれば、何かしら抱えている課題があったし、探そうと思えば一緒に食べに行く人がいた・・・ような気が、します。単に過去が美化されているに過ぎないという面があるにせよ、心なしか、付き合いの幅が一気に狭まってしまったかなぁ、という気がします。

今最も共有している時間が長い相手と言えば、無論、職場の人。週末の空いた時間に、職場の人と食事に行く、というのも、あり得ない選択肢ではない、ような気もします。しかし、気になる点が一つ。働き始めてわりと最初のうちに、一緒に働くが、我々は友達ではないと宣言されているのです。友達ではない、か・・・。一般論として職場の人間関係について言ったものか、特定の関係として自分との関係について言ったものか、いずれかにもよりますが、考えてみれば、意味深な言葉です。

確かに、友達という言葉からは、友達なんだからいいだろう、というような、甘えや馴れ合いも連想されます。職場における人間関係で、甘えや馴れ合いが良くないのは、納得のできることです。別な見方をすれば、友達という言葉は、双方向的な関係を指すため、押し付けがましい、或いは押し付けがましい文脈で使われやすい、と考えることもできるのでしょうか。

実際、今までも自分で友達という言葉によって周囲との関係を意識したことはあまりなかったような気がします。ある相手が自分にとって友人であり、知人であっても、相手にとって自分がどうであるかは、自分には把握できません。

斯様に、一見甘えや馴れ合いと結び付きやすい友達という言葉も、双方向的か一方的かというだけで、他の同様な言葉、例えば友人とか知人とかといった言葉と本質的な違いはないものだとしたら、ある相手に対して友達ではないというのは、さらに重い意味を持つのかも知れません。つまり、自分が相手を友人・知人と思わないだけでなく、相手から友人・知人と思われることすら拒否する、ということにもなりかねないのですから。

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