2008-02-15

学生時代に力を入れて取り組んだことを、力を入れた順に二つ挙げてください。取組の期間や、そのうち自分の力で実現させた目標と実現のためにとった行動や工夫を教えて下さい。

Cyber Conference Project

Asian Law Students' Association(ALSA)早稲田大学の企画として自分の提案によって立ち上げたもので、海外のALSA支部とTV会議による遠隔交流を開催することを目標としています。そのために、他の会員にも担当者として分担を振りつつ、自分では先方(当時はシンガポール)との折衝を行いました。折衝に当っては、積極的にコンタクトを取ること、返信を早くすることを心がけました。

ALSA Secretary-General

Asian Law Students' Association(ALSA)で経験した役職の一つですが、そこでの自分の目標は、ALSAとしての目標を議論し、できれば計画という形で策定することでした。各国・各大学の状況、そして特に海外の会員が何を考えているのかの把握に努めつつ、自分の考えを提案書としてまとめ、議論の土台としました。抽象的な議論になってしまいがちではありましたが、一応の結論に至りました。

現在抱いている夢とその夢の実現のためにとっている行動を教えてください。

企業というものは利益を第一の目的として追求するものであり、そこで働く従業員も(自分又は)会社の利益を第一に考えるものだ、という考えがあります。しかし世の中そうとは限らないということを、自分が体現してみたいと思っています。より良い理想を持ち、それを実現することが結果的には自らの利益にも繋がるということを、自分の行動・業績を通じて示してみたいと思います。今は、そのための場となる企業を探しています。

Asian Law Students' Association(ALSA)早稲田大学CCP

CCPとはCyber Conference Projectの略で、ALSA加盟国の大学支部間でTV会議システムを用いた交流を行おうという企画です。2005年9月に立ち上げてから2006年秋まで実行委員長を務めましたが、その中で最も強い達成感を得られた経験は、ALSAシンガポール国立大学との企画「ALSA Waseda-NUS Cyber Conference March 2006」です。当初韓国・タイとの計画と並行して進めていましたが、その二カ国から交流相手を見つけることを断念してシンガポール一本に絞り、日程決定や討論の主題決定、事前の資料交換についてもいつ何をやるかという予定を立てながら進めました。相手からの返信が遅れたり、こちらでも資料の作成が予定通り行かなかったりと不安の種は尽きませんでしたが、催促を続けながら何とか進んでいきました。本番の日程もなかなか正式決定できず、こちらが河口湖で国内総会を行っている時に漸く連絡がつき、日時が確定できたのは五日前でした。このような困難を乗り越えて、本番は成功裏に終わらせることができ、最終的に報告書までまとめた時には、達成感もひとしおでした。

ALSA International Board Secretary-General(事務総長)

International Boardは直訳すれば「国際役員」で、六名で加盟九カ国を統括しています。2006年8月から2007年8月まで自分が務めたのは三代目でしたが、二代目まではあまり活動実績が残せておらず、存在感が薄いことが気に懸かっていました。自分が役員を務める時には、自分自身が活発に行動・発言し、会員からアクセスしやすくするとともに、他の役員にもそうあって欲しいと思い、積極的に働きかけました。例えば、前年も制作が決議されながら原稿が集まらずに日の目を見なかった学術論文集の企画は、今回もなかなか始動しませんでした。担当者を催促し、催促しても返信がない時には彼女と同じ大学のメンバーから電話をかけてもらったり、時には自分が代わって提案・説明したこともありました。こうして数カ国からの原稿でまがりなりにも完成させた論文集を印刷し、携行して臨んだ最後の総会では、次の役員の選挙が行われました。自分自身は再度役員に選ばれる資格はなかったのですが、「本当は次期代表をお前がやれたらよかったのに」という言葉を聞いた時には、自分がやってきたことは間違っていなかったのかも知れないという感慨を感じました。

学生生活で最も打ち込んだことについて、その時期や場所など状況を教えてください

2006年10月、Asian Law Students' Association(ALSA)早稲田大学の企画として、海外のALSA支部との間でTV会議による遠隔交流の開催を目指すCyber Conference Projectが発足しました。自分は実行委員長として関わり、翌3月、初の遠隔交流企画としてALSAシンガポール国立大学とのTV会議を開催することができました。

それに取り組む上で、どんな問題や難しさがありましたか

日程通りに準備が進まなかった点が、最も困難な点でした。開催予定の約三ヶ月前の時点で、開催日の正式決定や事前資料のやり取りといった事項を行うべき期限を記した日程表を作り、先方へ送付しました。しかし、期日になっても先方からの意思表示や資料送付がないことばかりでした。早稲田大学側はそんなことのないように期日通りに送ろうとしましたが、こちらも遅れそうになることが多くありました。

起こった問題に対して、あなたはどんな行動をしましたか

先方に対しては、日程表に修正を加え、後の日程を遅らせたほか、さらに提出が遅れても対処できるように、予定していた手続きを減らしさえもしました。また、インスタントメッセンジャーや電子メールでの連絡を可能な限り頻繁に取るようにして、先方の進捗状況を把握するように努めました。こちら側では、担当者に対して期日が近い旨の連絡を頻繁にするとともに、状況把握に努め、自分が手伝えることを手伝おうとしました。

行動をした結果はどうでしたか。また、この経験から何を学びましたか

結果として、日程がぎりぎりになりながらも、開催期日を決め、最低限の事前資料の交換をして、本番のTV会議を迎えることができました。交渉相手との間でも身内でも目標を共有することが重要だということを痛感しました。また、交渉相手との合意形成に当っては、最低限達成したい基準を意識した上で、約束が履行されない可能性を勘案し、その分を上乗せする必要があるということを学びました。

これまでの経験において、最も力を入れたことは何ですか。また、その経験から学んだことを教えてください。

最も力を入れたことは、アジア法学生協会(ALSA)早稲田大学の企画として「Cyber Conference Project」(CCP)を提案・実行したことです。海外のALSA支部とTV会議による遠隔交流を開催することを目標とする企画で、実際に一年間の自分の任期にのうちで一度シンガポール国立大学との間でTV会議を実現することができました。この経験から学んだことは、「夢は叶う」ということです。最初、海外の支部と遠隔交流を行うなどということは思い付きでしかありませんでした。それが大学の関係部署やサークルの会員、先生といった人々のおかげで実現にこぎつけられたことは、最初には想像すらしていませんでした。

これまでの経験において、苦労したことや失敗したことは何ですか。また、その経験から学んだことを教えてください。

日程通りに準備が進まなかった点が、最も苦労した点でした。開催予定の約三ヶ月前の時点で、開催日の正式決定や事前資料のやり取りといった事項の日程表を作り、先方へ送付しました。しかし、期日になっても先方からの意思表示や資料送付がないどころか、こちら側も遅れそうになることが多くありました。結果として、日程がぎりぎりになりながらも本番のTV会議を開くことができましたが、交渉相手との間でも身内でも目標を共有することが重要だということを痛感しました。また、交渉相手との合意形成に当っては、最低限達成したい基準を意識した上で、約束が履行されない可能性を勘案し、その分を上乗せする必要があるということを学びました。

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