会食に行ってきました。参加者は七名でしたが、そのうち一人、手品を見せてくれる方がいました。食後、その人の手品にみんなで見入っていました。参加者のうちの別の一人をして今まで手品は嫌いだったけど好きになりました
と言わしめるほど、すごいものでした。
しかし、そこで思ったこと。手品の(手品を見る)楽しさがいまいちわからない。手品って、基本は相手を騙すことであり、あるいは自分の持っている知識・技術の存在を見せつけておきながら相手に教えないことなのではないかと考えてしまいました。
では一方で、自分が典型的に楽しい・興味深いと感じ、感動するのは、どのような時か。たとえば、スポーツなどで、自分ではとてもできないような美技を見た時。一つ一つでは取るに足らないものでも、その組み合わせや発想の妙が一本取られた!と思える時。
このような種類の楽しさと比べるなら、手品の楽しさは、やはり異質なのではないでしょうか。手品は、美技として何度も見て楽しむものではなく、その場の錯覚として楽しむのが、基本でしょう。手品を支える技術やその背景にある発想に着目するのではなく、あくまで事実の流れとしての手品を楽しむのが基本でしょう。
では、そんな手品は、他のどんな種類の行為に似ているのか、と考えてみます。例えば、難しい数学の問題のようなもので、解けるということを示しておきながら、そのやり方を説明しないこと。なぜこのような手品を、人は好きになれるのでしょう。
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