2008-07-05

自己中心的に見ると、「今のALSA三年生」は

ALSA(ALSA Japan)の同期とは、ST韓国05の時に、徹底的に議論をしました。尤も、途中で自分はTCという役目に転出してしまったけれども。ただ、あのまま自分が実行委員という立場で関わり続けていたら、極端に言えば、企画自体を崩壊させたり、あるいは一緒に企画に携わっていた多くの人を離脱させていたかも知れません。その後も、同期とはNBと一般会員という立場で、議論する機会は多くありました。

今の四年生は、当時彼らが一年だった時のST韓国05でも議論したし、その後CCPでもともに企画に携わった友人がいます。彼らがNBになる時・実際にやっている時も積極的に議論に参加していた自分は、彼らを辟易させていたかも知れません。

今の二年生は、去年のゼミフェスティバルで、ともに企画に携わりました。自分も絶対に遠慮しないし、彼らにも学年が離れているからと言って遠慮して欲しくなかった。今から考えると、記憶は美化されるという要素はあるにせよ、それができていたのではないかと思えます。

それに比べ、今の三年生は。実は、自分が、徹底的に議論をした人が殆どいない代と言えるかも知れません。NBの選挙にも行かなかったし、任期中の二月CMでも、実質的な議論には参加しませんでした。自分は、あまりにも(表面的な意味で)優しい先輩であろうとしてしまったのかも知れません。

こんなことを考えてしまったのは、今の三年生についての批判を聞いた時でした。その批判が当っているかどうかはわかりませんが、自分の記憶では、そのような状況は、経験したことがありません。今までこんなことは無かったのに、今だけこうなってしまっているように思えます。そしたら、その遠因は、ひょっとして、自分との関わり方の違いにあるのではないか。こんな考えに至ってしまった自分は、とても傲慢で、哀れですらあるかも知れません。でも、そう悲観的に考えても仕方が無いので、せめて、自分がそう勘違いできる状況があるという幸せさに感謝したいと思います。

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