2008-07-11

娯楽性を満喫するためには

九月にディズニーランドへ行こうかという話が、出てきました。今までは、このようなMLでの連絡にはなるべく早く返信するようにしていたのですが、今回は、どう返信したものか、迷って、まだ返信していません。というのは、そういうノリ自体は好きなんですが、自分は本当にそのメンバーでディズニーランドに行きたいか?と思ったからです。

では、ディズニーランドが嫌いか?そんなことはありません。楽しい思い出が、たくさんあります。ですが、そんな思い出は、すべて、ALSAの受入国際企画のゲストが延泊した場合の訪問先として一緒に行った場合でした。それ以外にも、一度行ったことがありますが、あまり楽しめませんでした。尤も、あまり楽しめなかったその時はディズニーシーに行ったのですが、以前は楽しめたのにその時は十分楽しめなかったのは行った先が違ったからなのでしょうか。

なぜ、楽しめる時とそうでない時があるのか。前者の場合は、あくまで自分はもてなし役・案内役で、楽しんでもらいたい主体は、海外参加者でした。そして、その海外参加者が楽しんでいると思えれば、自動的に自分も楽しいと思え、逆に彼らが疲れたような表情をしていると、自分も微妙に凹んでいたものです。これは、考えようによっては、親子連れの心理とも似ているのではないかと思いました。親というものも、子供が楽しんでいるだけで、自分も楽しいと思えるものなのではないでしょうか。

もちろん、楽しいと感じるのは、自分がもてなし役・案内役である時だけであるはずはありません。実際、ジェットコースター系のアトラクションは、自分自身も楽しかった記憶があります。これについては、こう考えてみてはどうでしょうか。ディズニーランドのアトラクションは、究極的には自分で楽しむもので、友人と一緒に行って楽しいのは、あくまで楽しさが共振しているからに過ぎない。これと対照的な例は、スポーツであり、旅行なのではないかと思います。同じ目標に向かって、一緒に頑張っていく、あるいはお互いに相手に勝つために、本気になる、そういう楽しさの方が、もっと魅力的なのかも知れません。

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