2008-07-10

何にこだわっているのか

ST北海道に参加するか否か。参加するなら、何を目的にするか。文句ばかり言っていてもアレなので、自分ならどんな企画趣旨文を作るか、一念発起して考えてみました。

ALSA Japanは発足以来約十年間、ALSAという国際組織の日本支部として、東京都・神奈川県・埼玉県といった首都圏の一部の地域の大学に重点を置き、組織・体制の充実を図ってきました。しかし、各加盟大学で会員数も増加してきた今、次の時代の展望として求められることは、日本国内の地域の多様性を反映できる組織に脱皮し、名実ともにALSA内外に対して日本を代表できる組織となっていくことです。

幸いにも、今回私たちは、北海道でALSA支部を立ち上げたいという、北海道大学の有志の学生を得ることができました。私たちは、この機を逃さず、ALSA Japanの次の時代を北海道から切り拓いていくべく、このStudy Trip北海道2008を企画します。

もしこの趣旨で企画を実行した場合でも、単に北海道を楽しみたいという目的で参加する人がいることも、あり得ます。そういうモチベーションの多様性もある意味ではALSAの特色であり、それを知ってもらうことは有意義であり、むしろそういう人無しでは、北海道の有志の学生に嘘を付いているとさえ言えるかも知れません。なぜなら、会員全員が北海道でのLC設立に積極的賛成なわけではないですから。STの中でそのような人を説得し、あるいはモチベーションを変えていく、というのは、今後必要になるであろうALSA Japan内での手続を先取りして経験しておくようなものでさえあるかも知れません。

しかし、その逆は、あり得るのか。つまり、LC設立への意欲が、自分の方が企画としてより強い、即ち実行委員長より強い場合です。例えば、自分が最終目的としてのLC設立を考えたら、ここはこうすべき、と言ったとして、当然反対意見はあります。ただ、反対意見の種類は、おそらく二種類あります。

一つは、LC設立のために良くないといった類の意見です。この場合は、最終目標は共有できていて、その手段をどちらにした方がより効率的・効果的か、という議論です。なかなか結論は出しづらい場合もあるでしょうが、最終目的を共有できているのだから、まだ救いようがあるのではないでしょうか。

次は、暗黙の前提に挑戦することになるので、良くないという類のものです。つまり、単にLC設立が目的と言った時でも、通常は適切にLCを設立することが目的です。だから、適切でない形でLCを設立することは、実は良くないことなのです。ところが、その適切の指す内容が人によって違い得るところが、厄介なところです。言いようによっては、上に示した文案はむしろ企画目的と言うべきで、この暗黙の前提こそが企画趣旨なのかも知れません。いずれにせよ、この暗黙の前提を巡る議論をうまく乗り切るには、できるだけ事前に顕在化させ、対応策を練っておくのが良いと思います。

ちなみに、現実的に無理という場合があるという指摘があるかも知れません。しかし、結論から言えば、これは、ほぼすべてが第一か第二の類型に吸収されるのではないかと考えます。例えば、知る人ぞ知る、ST韓国2005の時の広島案の議論も、そうでした。どんなに無理そうに見えることでも、そのために必要なことを冷静に見極めれば、全く不可能なことは殆ど無いでしょう。ただ、莫大なコストが必要な場合も多いので、それだけのコストをかけることが適切(第二類型)と言える範囲内であるかどうか、というだけです。

ST北海道の話に戻りましょう。もし結果的に第一類型の議論ばかりであったなら、実は自分の考えている目標は共有できていた、ということになるでしょう。だとすると、今の趣旨文の書き方・自分たちの認識への認識が、間違っていたということにはならないでしょうか。それはそれで良いような気もするけれども、ただ、偽りの形で承認を得たものである、ということになり、それは良くない。少なくとも、今まで人がそのようなことした時は、強い嫌悪感を感じていました。

第二類型の議論が多くなってきた場合は、どうか。今回は、適切の定義、あるいはその適切さと本来の趣旨(目的)のどちらを優先するかの認識に関して、実行委員長(=企画自体)を含む多くの参加者と自分の間で違いが大きいみたいです。とすると、この類型の議論を強くすることは、企画自体に反抗することになるのではないでしょうか。とすると、それも、自分の望むことではありません。

考えるべきは、さらに次の次元へ進みます。即ち、自分が嫌悪感を感じたり不本意な議論をすることになってでも、この企画に参加する価値があるかどうか、です。この際、人のことを考えても仕方がない(本当に?)ので、自分のことのみを考えましょう。

例えば、自分は、そのような嫌悪感に対する耐性をつけておきたいのか。違うのではないか。むしろ、そのような嫌悪感には、敏感でありたい。不本意な議論をできるような人間になりたいのか。違うだろう。今後そうならないようにすることが、実は自分の就職活動の最も重要な方針だったのではないかと、今になって思います。それでも、今後の人生で、必ずそのような場面に直面する?そんな経験、自分から進んで今しなくても良いではないか。今、そして残りの大学時代の自分には、他にやるべきことがあるんじゃないのか。もともとは今年の春にはできたら良いと甘く考えていたALSA追憶の作成も、遅々として進んでいません。

この思考の前提に変更がない限り、今回のSTへの参加は、見送ろうと思います。

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