あるある大事典打切りに見るボーダーラインは、二頁目で、発掘!あるある大事典データ捏造問題(命名はWikipedia)が由々しき問題であることを前提として、なぜそれが由々しき問題であるのかを解説しているようである。その理由は、端的に言えば、相当数の人が被害にあっている
から、ということになろう。この相当数の人のうち筆者が指摘している例を類型化すると、このようになる。
- 番組制作協力者
見当違いの日本語訳をされたテンプル大学教授
いいかげんな検査しかされなかった出演者の皆さん
- 番組の影響を直接受けた人々
納豆を買いに走り回った人
大嫌いな納豆を「痩せるためだから」と涙をにじませて無理に食べた人
- 番組の影響を間接的に受けた人々
品薄状態を打開すべく、増産体制を敷いたとたんに在庫の山を抱えたメーカーの人
番組の影響を直接受けた人々は、自らこの番組の内容を信じたことに責任を持つ必要もある。あるいは、間接的にその番組がそう言っていると言われたことを信じたことについても、同様だろう。それが、現代社会に求められるメディアリテラシーではないだろうか。
番組の影響を間接的に受けた人々に関しては、まさにお気の毒と言うほかないが、あくまで間接的な影響を受けたに過ぎないということに留意したい。これを被害と呼ぶなら、直接被害を与えたのは、番組の影響を直接受けた人々であり、彼らにメディアリテラシーが欠けていたが故のことである。
番組制作協力者に関しては、自らの言いたかった内容が曲げられて伝えられたということの不利益か、それが自らの社会的評価に影響したことの不利益が、被害として考えられる。しかし、前者に関しては、そもそも編集権は放送者側にあり、自分の希望通りに番組が作られるという保証は、ないのが基本なのではないか。何か約束をしていてそれを破ったというのでない限りは、放送者側に今回のような不祥事があっても、それが即番組制作協力者に対する被害であるとは言えない。後者に関しては、確かに、本当に社会的評価に影響したならば、名誉毀損の範疇に入るものだろう。
しかし、マスメディアの放送は、以上のようなものでは収まらない被害を生み出す場合がある。それが、番組の内容自体による名誉毀損であり、プライバシーの侵害である。例えば、納豆又は納豆関係者が、納豆がダイエットに効くとはとんでもない!納豆はそんなものではない!と怒ったとしたら、ある種の名誉毀損と言えるかも知れない。あるいは、納豆又は納豆関係者が、納豆がダイエットに効くことは隠していたのに!言いふらすなんてひどい!と嘆いたとしたら、ある種のプライバシー侵害と言えるかも知れない。しかし、今回の問題はいずれのケースでもない。わずかに、番組制作協力者に関して名誉毀損の可能性があるかも知れない、という程度である。
話を聞く限り、納豆以外の発掘!あるある大事典データ捏造問題でも、名誉毀損やプライバシー侵害に当るようなケースはほとんどないのではないだろうか。名誉毀損やプライバシー侵害がなくとも、今回のような事件は、善か悪かあるいは中性か、と問われれば、悪である。しかし、その被害の大きさのみに捉われずに、何がその被害を生み出したのかを考え直す必要があるだろう。
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