2008-04-15

人に「助言」をする

リンクアンドモチベーション社の企画による研修行事が、ありました。その中で印象的だったのが、人にどのように「助言」をするかを考えるという課題でした。全体は「視点を知る」「自分を知る」「会社を知る」という構成だったのですが、その第一部「視点を知る」の一環として行われたものでした。

与えられた事例は、大学卒業後別々のITベンチャー企業に就職した友人二名それぞれと数ヶ月ぶりに再会して、その人の悩みを聞き、どのように「助言」をするかというものでした。その悩みというものは、片方は「自分の仕事の意義が感じられない」、もう片方が「自分の成長が実感できない」というようなものです。

ここで、そこにいた他の参加者、それにその行事の司会者の人から提示された回答案と、自分の考え方の違いを感じたのです。参加者の人や回答案の根本的な考え方は、自分の理解では、その相談者の直面している事象に対する視点を切り替え、より肯定的に捉えるというものでした。そのプログラムの目的が「視点の切り替え」であったことからしてもそうなのですが、例えば、「長期的に考えればその仕事は意義がある」とか、「こんな成長をしていると考えることができるんじゃないか」とか、そんな感じでした。

しかし、そのような考え方は、自分にはいまいちしっくりときません。まず、いくら友人であるとは言え、一度就職して別々の道を歩み始めた身、その相談者のしている仕事にどんな「意義」があるかなんて、部外者である自分が本当にわかるわけがないのでは?と思います。もちろん岡目八目ということもありますが、本当に岡目八目と言える場合というのは、もっと自分(助言者)の経験に引き付けて、例えば「君のその事例は自分のこんな経験と酷似している、それによればこうだ」とまで言える場合だと思います。しかし、そう言えるためには本当に「酷似している」と言えるかどうか、もっと具体的に相談者から聞き出さないといけません。その人が「成長」しているかどうか、についても同様です。

では、自分だったらどんな接し方をするか。その研修の場で提案してまじで一蹴されたのは、相手を否定するような接し方です。例えば、前者なら「やっぱり本当に意義がないんじゃないの?」、後者なら「そりゃ成長できてないよ、ほんとに」といった感じです。では、なぜ自分はそんな言い方をしたいか。それは、おそらくそんな言い方をされれば、逆に相談者の方が自分から「そんなことはない、意義はある、何かしら成長をしている」と考えると思うからです。そうやって自分から肯定的に自分を捉えなおすことができて初めて、本当に立ち直ることができるのではないでしょうか。

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