今巷、及び自分の周囲でも話題になっている(どころではない)行政刷新会議のワーキンググループによる事業仕分けについて、二点ほど。
11月13日の朝一です。結論や、議論の仕方については、様々な見方があるでしょう。そもそも、(今回のようなやり方での)事業仕分け自体が乱暴だ、という議論も、多く聞くような気がします。
ただ、一つ指摘しておきたいのは、少なくとも自分が傍聴した分に関しては、受ける側、役所側の対応もひどかった、ということ。仮に実際にやっている事業が素晴らしいものだったとしても、あの説明でそれを理解しろ、という方が無理があります。あの程度の説明しかできないのは、説明する側も本質的には事業の価値や意義を理解できていないからでは?説明する側すら理解できていない価値なんて、本当に存在するのかどうか疑わしい、と思われても致し方ない気がします。関係者の一人としては、仮にも役所で偉いと言われる役職にいる人があの程度の説明しかできないことに憤りを感じます。
・・・と、だいぶ失礼な言い方をしましたが、必要とされる能力が、今までの役所仕事とは全く異なるのだから、今まで必要とされてきたことについて優秀であった人が、それとは全く異なることについても優秀であるとは限らないし、それを求めるのは酷である、とも言えます。その意味では、今回のやり方は、官僚に求められる能力の抜本的転換とも言えなくはない(今後も続けるなら、ですが)し、実際に、科学技術は一般国民にはわからないものだし、わかる必要もない、と開き直るのでない限りは、必要とされる能力なのではないかと思います。仮にも国策として重点的に推進していくなら、その重視の度合いに応じて、やはりわかりやすくその意義を説明する必要はあるでしょう。民主主義を否定するのでない限りは。
ところで、斯様にして、役所の偉い人たちも公開で一般に対してわかりやすい説明が求められるような場に引きずり出されたわけですが、それに比べれば、まだ独法の理事などは、ぬるま湯ですね。本当は、彼らこそ今回のような任務を果たさなければならないと思います。
(事業仕分けを)今後も続けるべきか
結論から言えば、続けるべきではないような気がします。
今年度については、九月という時期に誕生した新政権として、時間が限られる中で予算編成に(よい意味での)政治的判断を反映させていくためには、このようなやり方を取るのも、仕方がなかったような気がします。
しかし、来年度以降は、別です。やはり本来は、今回のような短時間で、事業の意義・価値を判定するのは、無理があります。しかも、特に独法については、独法評価という制度(?)がある、ということを、特に強調したいです。独法は、いかに建前上独立(というよりは自律的業務運営を目的の一つとした制度)であると言っても、やはり国費を投じる以上、評価は必要でしょう。そのために独法評価という制度(?)があるのだと思います。しかし、それとは別に、予算の査定のために改めて事業の評価を行う、というのは、まことに非効率です。時期的にも、例えば平成20年度の事業についての独法評価を平成22年度予算編成に向けた作業に間に合わせることはできるのではないかと思います。例えば、国全体(又は全独法)共通の、予算要求基準(前年度比)を設けて、そこを基点にして、独法評価の結果に応じて自動的に限度額を決め、新規事業や事業拡充のためにそれ以上の額を要求したい場合のみ、説明を行う、ということにすれば、予算要求に関わる作業もだいぶ減る(=効率化できる)のではないでしょうか。(逆に、査定する側から、前々年度終了後の特別な事情から、限度額を引き下げるべき、という形での説明もあり得ると思います。)
いくら独法評価を重視せよと言っても、独法評価は中期目標の達成度を測るための評価であるべきで、その中期目標は前政権下に策定されたものだ、と考えたら、そもそも中期目標を見直さなければならない、とも言えます。ただ、そこまでやると、相当大がかりな作業になると思いますし、そのような作業に時間をかけることは、中立ではあり得ず、現状維持派を利することにもなると思います。今年度、来年度くらいは暫定的・移行的な段階になるのかなぁとも思いますが、最終的には、独法評価をうまく予算編成に活用できるような制度を構築してもらいたいものだと思います。恐らく、そのためには、予算編成のやり方の変更よりも、いかに独法評価を予算編成に使いやすいものにできるか、という独法評価のやり方の変更の方が、困難であり、作業量も多いのかなぁ、という気がします。