2009-11-28

生観戦は、また次回に。

Jリーグ第33節アントラーズ・ガンバ戦観戦しに行くことを考えていましたが、断念しました。疲れていた、とか、天王山だから行っても近くでは見られないだろう、とか、それだけ大事な試合だからこそ聞こえてくるであろう相手を中傷するような言葉をあまり聞きたくない、とか、NHKでも見られるし、とか言い訳をし始めたらきりがありませんが。

ワンセグの受信状態がよく、最初から最後までちゃんと観戦できたので、感想を書いてみます。

  • 一点目から三点目までの興梠選手野沢選手マルキーニョス選手のプレーは、素晴らしかったと思います。
  • ただ、前半の後半を中心に、佐々木選手のドリブル突破をはじめ、ガンバの攻撃には決定的な場面を何度か作られていた気がします。この試合ではガンバ側の決定力不足と失点を補って余りあるアントラーズ側の得点、そしてそれによる最終局面でのガンバ側の戦意喪失に助けられた面があると思いますが、今後に向けては、不安材料な気もします。
  • ブログではアントラーズの強さを称賛する声が大きいようで、山口素弘さんテレビ番組優勝は100%アントラーズだ、なんておっしゃってましたが、上記のような感想を踏まえると、微妙なような気もします。川崎フロンターレは勝てば逆転優勝の可能性が高いかも!?という記事があり、意外とこちらの方が真実に近いのではないか、と思います。もちろん、これは精神的な問題の話であって、この事実を前提として、勝たなければ優勝はない、という意識で緊張感を今まで通り持って試合に臨むことができれば、やはりアントラーズ優勝は堅いのだろうなぁと思います。
  • その点、試合直後の会見での興梠選手のコメントが、優勝はもう確実というようなニュアンスを含んだものに聞こえたので、それが油断につながることが不安ではあります。テレビ番組で放映された野沢選手のコメントは緊張感を持ったものでしたし、監督も考えるでしょうから、大丈夫とは思いますが。

2009-11-23

良いシュートではありますけれども

鹿島野沢弾で「逆転V」見えた!?

どんなシュートだったのか、YouTubeで見ることができました。確かに、その状況下においては、最善のプレーです。何より、ゴールにつながったのですから。再生した録画で見るのではわからない、すごいシュートであったのかも知れません。その点については、称賛を惜しむものではありませんが、それでも、気になる点が、一つ。

この場面、京都のプレッシャーがかかっていないじゃないですか。是非、鹿島に限らず、Jリーグ(の上位チーム)でプレーする選手は、こんな状況なら決めて当たり前、それどころかプレッシャーがかかっていても決められます、と言えるようになってもらいたいと思います。そうすれば、今回のプレーも、相対的に目立たなくなるでしょう。そうなってこそ、日本代表のレベルアップも望めるのではないでしょうか。

2009-11-22

Jリーグの試合を見に行きませんか

Jリーグ第32節川崎が大分に敗れたことで、第33節鹿島・ガンバ大阪戦が、優勝を決める上で最も重要な試合となりました。

というわけで、この試合の券が残り少ないという噂もありますが、そんなことは気にせず、一緒に観戦に行ってやるぞ、という方を募集中です。観戦ツアーをやるとして、モデルプランは、こんな感じです。

催行人員2名まで

交通手段
自転車
往路
朝4時出発(練馬周辺基準、途中食事無しの場合)
14時頃到着
復路
16時頃出発
24時頃到着(練馬周辺基準、途中食事無しの場合)

催行人員3~5名

交通手段
レンタカー
往路
10時頃出発(練馬周辺基準)
14時頃到着
復路
16時頃出発、どこか寄り道
22時頃到着(練馬周辺基準)
追加出費
レンタカー代
燃料代
駐車場代

2009-11-21

「ビルマ連邦国における国民和解への道」

以前(2007年6月3日)ゼミのインタビューで伺った方から、11月23日に開催されるシンポジウムビルマ連邦国における国民和解への道の案内が来ました。とりあえず、自分にできる消極的協力として、リンクを貼ってみます。

2009-11-20

上司から聞いた話、メモ

入社する半年前ほどからお世話になっていた、つまりお世話になり始めてもう一年近くになるにも拘らず、あまりちゃんと考えなどを伺っていなかった上司と、居酒屋で同席させてもらう機会がありました。その場の話で、興味深かった点を、幾つか、メモ、してみます。

危機感の目的について

その場にいた上司は二人とも、今我々の組織が置かれている環境が厳しい、という認識は共通してお持ちのようです。その上で、それをどう克服していくか、というアイデアが、幾つか示されました。荒唐無稽に思える話から、現実的にありそうでも障壁の高い話、奇抜でも意外と支持を得ている話など、興味深いものでした。

その上で、聞いてみたかった点が、一つありました。即ち、そのような戦術を駆使した結果として求めるものは何か。そして、それに対えて曰く、我々の組織の存続である我々の組織をアンタッチャブルな存在にすることである、と。

このような答えも、考え方の一つ、仕事の動機付けのあり方の一つとしてはあり得るのかも知れませんが、自分自身は、必ずしも満足できるものではありません。例えば、我々の組織の存続が重要であると言っても、では何を以て我々の組織と言い、何を以て存続と言うのか。仮に我々の組織アンタッチャブルにできたとして、果たしてその先には何があるのか。実は重要な論点が、隠されているような気がします。自分としても仮説を立てつつ、色々な人の考えを伺い、自分の考えを深めていければいいでしょう。

経営的思考・能力の導入について

曰く、経営の近代化を進めるために、経営学修士等の資格を取得した人材が必要だ、と。直感的にはわかるような気もするのですが、あくまでそのレベルです。自分自身、目標を立てること、共有することとそのために戦略を立てることの必要性は以前から感じているのですが。いずれにせよ、あまり理解されていない、ということでもあるので、やはり、なかなか理解の難しい考え方なのでしょうか。いつか、本を読んでみるか、かじったことのある人に話を聞いてみたいものだと思います。

生き残る、とは

今自分が厳しい状況にある、というのは重々承知です。それに対し、生き残るべし、という旨の言葉を頂きました。ここで、聞いてみたい点が、一つ。即ち、生き残るとはどういうことか、ということです。対えて曰く、仕事を楽しいと感じられるようになることである、と。確かに、つまらなく、或いは苦しく仕事をするよりは、楽しく仕事ができていた方が精神状態として望ましいのは間違いありません。今の自分が職場では暗い、という指摘を受けたのですから、尚更です。

しかし、ここでも、一つ疑問点があります。楽しく働く、ということが働くことの目的なのか。いや、ここで話題となっていたのは働くことの目的ではない、とも言えますが、それならば、働くことの目的が楽しく働くということでなければ、楽しく働くことよりも、働くことの目的を優先できればよいのではないか、ということです。もちろん、それが達成できたうえで、楽しく働けた方がよいことは、言うまでもありません。

2009-11-17

パブリックコメント

パブリックコメントが募集されているので、意見を出すとしたら、どんな意見を出すか、考えてみましょう。

科学技術関係施策の優先度判定等の実施に関する意見募集

各府省が平成22年度概算要求している主な科学技術関係施策について優先度判定等を実施することとしています。今般、優先度判定を実施するにあたり、参考とさせていただくため、平成21年11月17日(火)~24日(火)の期間、国民の皆様からご意見を募集させていただきます。

対象施策を選び、それについて意見理由を記入する形式です。

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください

事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に生かしていく観点から、今回行政刷新会議の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。予算編成にいたる12月15日までに下記のアドレスまでメールにてお送りください(様式自由、必ず「件名(タイトル)」に事業番号、事業名を記入してください。)。なお、下記区分で宛先が不明な場合は大臣官房会計課(kaizen@mext.go.jp)までご送付願います。

電子メールで送信する形式です。対象事業ごとに送信先は分かれていますが、不明な場合の送信先も記載されています。

2009-11-16

気持ち悪くないです。

連れのアパートの玄関の近くにて。でっかいみみずがいる!気持ち悪い!と言うから何かと思ったら・・・ん?これ、よく見たらみみずではないのでは?だって、頭の形が違うし、動きも違う。(下の写真で言うと、最上部が頭・・・いや、ちゃんと考えると何が頭かなんてよくわからない、虫と脊椎動物では頭、というか口とケツ、というか肛門が逆だと中学時代に学んだ気もするけど、それはとにかく頭に見える部分です。・・・とここまで書いて、頭に見えると言うだけなら、別にわざわざ説明しなくても写真見ればわかるじゃん、と思いました。)

全然気持ち悪くないじゃん、と思おうとしてみたものの、携帯で写真を撮って、それを見てみると、確かに気持悪い、かも。それにしても、これは何なのでしょう。

ミミズのような生き物

2009-11-15

『社会学入門』

読むべき本を求めて、たまたま『社会学入門』という本を読んでいました。まさに書名からして関わるゼミの研究についてはもとより、自然科学に関しても、なかなか興味深い問題があったので、ご紹介します。

  1. 自然科学的研究手法と社会科学的研究手法は本質的に異なるのかどうか

    同書180頁の記述に拠れば、自然科学的研究手法とは、規則性と斉一性の存在を前提として、これを客観的な観察と実験を通して経験的に明らかにすることである、ということになります。一方、それに対置される手法は、諸事実の意味連関の把握を重視し、個々の事実をより大きな意味的全体の部分として統合的に理解する、ということ(同書181頁)です。筆者は、前者を科学的方法と呼び、後者を理解の方法と呼んで、社会学的実証研究はこの両者が相互補完的に機能しあって構成されている、としている。

    ここで生じる疑問は、次のようなものです。

    1. 自然科学の研究においては、後者の手法は使えないのか。
    2. この二つの手法は、本当に本質的に異なるものなのか。
    3. そもそも、自然科学・社会科学の研究手法には、この二つに含まれない手法はないのか。

    ちなみに、自分自身を振り返ると、そもそもゼミの研究手法自体、後者を志向するものであって、自分も無意識的に後者の要素をより先鋭化させるように考えを進めていっていたように思います。

  2. 科学的であるということは、論理的であるということとどう異なるのか、或いは異ならないのか

    本書187頁には、研究者が研究対象たる社会に深く入り込み、内部者としての地位を獲得することを通して得た知見に基づいて行った研究を称賛する文脈で、科学的方法による説明とは異なる、心理主義的もしくは論理主義的な主観的明証性と解釈可能性にもとづく独自の対象把握の世界が見られると述べられています。

    ここで生じる疑問は、科学的であるということは、論理主義的或いは論理的であることと、どのように違うのだろうか、という点です。自分自身を振り返れば、最初の論理的思考との出会いは中学の数学(幾何)だったような気がします。数学も自然科学のうちであるなら、科学的であるということが論理的であることと対立的に捉えられることは、矛盾しているように感じられます。論理主義的であるということと論理的であるということの違いも整理できていませんし、自分の理解の仕方に違いがあるんだろうとは思いますが、ちゃんと考えたら、(少なくとも自分にとっては)新たな発見があるような気もします。

  3. 態度意見

    ここから先は、自然科学には関わりません。

    社会科学における代表的な科学的手法が定量的調査であって、しかも定量化が難しい人々の意識を定量化しようとする手法として意識調査がある、という前提で、本書204頁には、次のような記述があります。

    意見は、特定の事象にたいして個人が下す評価や判断であり、態度にくらべて認知的要素がより強い。態度は、ほぼ論理的整合性をもち安定しているが、意見はデマやマスコミによって状況の認知が攪乱されるので、論理的に矛盾したり、短期間に変化することもめずらしくはない。

    ここでの疑問は、意見態度に、本質的な違いがあるのかどうか、ということです。もしなければ、敢えて異なる二つの語を用いる必要はなく、単に深い意見浅い意見とでも言えばよいのではないか、ということになります。でも、感覚的には、やはり意見態度に本質的な差があるような気もしていて、もしそれが本当にあると言えるなら、それは興味深いことだなぁと思います。

  4. アイデンティティーという語の邦訳について

    ここから先は、本書の内容には関係しません。

    同書207頁から、帰属意識についての調査に触れられています。そこから、連想したこと。帰属意識と言えば、アイデンティティーという語の訳・言い換えとしても使われる言葉。そう言えば、アイデンティティーという語の言い換えとしては自己同一性という語をよく聞く気がするけども、以前からそれに違和感があったところです。

    と思って「外来語」言い換え提案を見てみると、アイデンティティーの言い換え語は独自性自己認識となっています。前者は、そもそも言い換えとして正しいのかどうか疑問、同じく前者を使用した用例についても適切なのかどうか疑問に感じるところがありますが、後者については、まさに自己同一性などと同様な含意を持つものに感じられます。

    実際、自己認識という言葉は、自分にとって、アイデンティティーという語が指すと思われる含意に、かなり近いように思われます。しかしそれでも尚、提案してみたいと思った語は、自己定義です。認識定義という語を比較した場合、前者がより客観的・受動的に対象をあるがままに知るという含意が強いのに対し、後者はより主観的・積極的に対象を自分なりに捉えなおす、という含意があるように思われるから、そしてアイデンティティーという語の含意は後者により近いように思われるから、です。

    ・・・と、何の根拠もなく自分の感覚を述べ立ててもあまり意味がないので、今後色々な人と話をしたり、ものを読んだり、その他経験をする中で、根拠を見つけたり、或いは自分のこの感覚を修正できればいいと思っています。

  5. ゼミの研究目的は何か

    この点については、もはやどう本書と関係するのかさえ、この記事を書いている今となっては忘れてしまいましたが・・・。しかし、本書の内容に触発されて思いついた、ということだけは確かです。

    ゼミでは、先生の理論を適用するのが我々の研究だ、という主張(というほど論議を戦わせているわけではなく、特に議論を発生させなければ当然の前提と思われている節もあるので、理解とでも言うべきでしょうか)が見受けられます。

    ここで思い出すのが、日本政策学生会議の説明会(?)に行った時に聞いた話です。あれは、2006年7月2日、一つ上の代の幹事長と同期一人、合計三人で、慶應三田キャンパスへ行ったのでした。そう言えばあの時は、初めて彼の地へ自転車(先代)で行って、警備員さんに駐輪場がない、と言われて驚愕・憤慨したものでした。あの時は、本当に自分は大学選びで失敗しなかったと思いました。それはともかく、その説明会(?)で聞いた話は、学部のゼミでの研究は、先生の考えや理論に捉われず、自由な発想でやりなさい、という趣旨のようなものだったと記憶しています。慶應かどこかの先生が、講演のような形で話していたのでした。そのことの意味は、ずっとよくわかっていませんでしたが、今になって初めて、そういうことだったのか、と思います。

    院生と違って(いや、院生も、と言うべきなのかも知れませんが・・・)、学部生は、先生の研究の手伝いをしているわけではないのだから、指導・助言は受けながらも、独立した研究をやるべし、ということだったのかなぁ、と思います。特に自分がいたゼミについて言えば、扱っている主題自体、先生が現在進行形で関心を持って研究をしている(恐らく)主題とは既に違っていますし、教科書のようにして使っている書籍も、だいぶ古いものです。

    是非、先生の理論の後追いをする、ということではなく、不完全なものでもよいから、新たな理論を構築する、という意気込みで研究をやってもらいたいものです。自分自身、ゼミにいる時間が経つにつれて無意識的にそのような思いを強くしていったような気がしますが、自分自身で意識を明確化できなかったこともあって周囲と共有することが出来ていなかったと思います。自分の班、或いは自分の担当範囲ではそれを目指していても、それ以上に広げることができず、言うなれば、志半ばにして、という感じでした。学部生の専門性が低いのは当然の前提ではありますが、比較優位性の問題として、より発想の転換や新たな着想が重要な、野心的・根本的な挑戦をした方が、自らにとっても、また成果としてもよいのではないか、と今は思います。

    本書の内容に関係するところで言えば、理解の方法に基づく研究手法(代表として、事例研究法)は、科学的方法に基づく研究手法(代表として、統計的方法)による論理が客観的妥当性を持つのに対して対極にあるもの、と位置付けられています(本書183頁)。是非、この壁を超える研究、理解の方法に基づきながらも客観的妥当性を持ちうる研究に挑戦してもらいたいものだと思いますし、自分は、このゼミであれば、できる挑戦だと思っています。

2009-11-14

事業仕分けについて

今巷、及び自分の周囲でも話題になっている(どころではない)行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けについて、二点ほど。

次世代スーパーコンピューティング技術を傍聴して

11月13日の朝一です。結論や、議論の仕方については、様々な見方があるでしょう。そもそも、(今回のようなやり方での)事業仕分け自体が乱暴だ、という議論も、多く聞くような気がします。

ただ、一つ指摘しておきたいのは、少なくとも自分が傍聴した分に関しては、受ける側、役所側の対応もひどかった、ということ。仮に実際にやっている事業が素晴らしいものだったとしても、あの説明でそれを理解しろ、という方が無理があります。あの程度の説明しかできないのは、説明する側も本質的には事業の価値や意義を理解できていないからでは?説明する側すら理解できていない価値なんて、本当に存在するのかどうか疑わしい、と思われても致し方ない気がします。関係者の一人としては、仮にも役所で偉いと言われる役職にいる人があの程度の説明しかできないことに憤りを感じます。

・・・と、だいぶ失礼な言い方をしましたが、必要とされる能力が、今までの役所仕事とは全く異なるのだから、今まで必要とされてきたことについて優秀であった人が、それとは全く異なることについても優秀であるとは限らないし、それを求めるのは酷である、とも言えます。その意味では、今回のやり方は、官僚に求められる能力の抜本的転換とも言えなくはない(今後も続けるなら、ですが)し、実際に、科学技術は一般国民にはわからないものだし、わかる必要もない、と開き直るのでない限りは、必要とされる能力なのではないかと思います。仮にも国策として重点的に推進していくなら、その重視の度合いに応じて、やはりわかりやすくその意義を説明する必要はあるでしょう。民主主義を否定するのでない限りは。

ところで、斯様にして、役所の偉い人たちも公開で一般に対してわかりやすい説明が求められるような場に引きずり出されたわけですが、それに比べれば、まだ独法の理事などは、ぬるま湯ですね。本当は、彼らこそ今回のような任務を果たさなければならないと思います。

(事業仕分けを)今後も続けるべきか

結論から言えば、続けるべきではないような気がします。

今年度については、九月という時期に誕生した新政権として、時間が限られる中で予算編成に(よい意味での)政治的判断を反映させていくためには、このようなやり方を取るのも、仕方がなかったような気がします。

しかし、来年度以降は、別です。やはり本来は、今回のような短時間で、事業の意義・価値を判定するのは、無理があります。しかも、特に独法については、独法評価という制度(?)がある、ということを、特に強調したいです。独法は、いかに建前上独立(というよりは自律的業務運営を目的の一つとした制度)であると言っても、やはり国費を投じる以上、評価は必要でしょう。そのために独法評価という制度(?)があるのだと思います。しかし、それとは別に、予算の査定のために改めて事業の評価を行う、というのは、まことに非効率です。時期的にも、例えば平成20年度の事業についての独法評価を平成22年度予算編成に向けた作業に間に合わせることはできるのではないかと思います。例えば、国全体(又は全独法)共通の、予算要求基準(前年度比)を設けて、そこを基点にして、独法評価の結果に応じて自動的に限度額を決め、新規事業や事業拡充のためにそれ以上の額を要求したい場合のみ、説明を行う、ということにすれば、予算要求に関わる作業もだいぶ減る(=効率化できる)のではないでしょうか。(逆に、査定する側から、前々年度終了後の特別な事情から、限度額を引き下げるべき、という形での説明もあり得ると思います。)

いくら独法評価を重視せよと言っても、独法評価は中期目標の達成度を測るための評価であるべきで、その中期目標は前政権下に策定されたものだ、と考えたら、そもそも中期目標を見直さなければならない、とも言えます。ただ、そこまでやると、相当大がかりな作業になると思いますし、そのような作業に時間をかけることは、中立ではあり得ず、現状維持派を利することにもなると思います。今年度、来年度くらいは暫定的・移行的な段階になるのかなぁとも思いますが、最終的には、独法評価をうまく予算編成に活用できるような制度を構築してもらいたいものだと思います。恐らく、そのためには、予算編成のやり方の変更よりも、いかに独法評価を予算編成に使いやすいものにできるか、という独法評価のやり方の変更の方が、困難であり、作業量も多いのかなぁ、という気がします。

2009-11-08

学園祭雑感

直前に書いたように、早稲田祭へ行ってきました。主目的はwalsaでしたが、その前に、連れに連れられ、隣でやっていたCause Brand Projectも少し訪問しました。それらの感想を、徒然なるままに。(いや、徒然ではありません。もう明日は出勤です。早く寝ねばなりません。)

Cause Brand Projectなるものについて

企画自体は、幾つかの大学のミスコンの受賞者が出ていたり、有名な企業がスポンサーに付いていた関係か、客入りは良さそうな感じでした。メディアの取材のようなもの(?)も来ていたように見受けました。ただ、教室内に掲示されていた各企業の活動についての展示は、手作り感が強調されていて、まぁ、それはそれで良いのかも知れませんが、企業のブランドイメージに関わるような展示がそれでよいのか、という気も。

さて、自分が理解した限り、Cause Brandとは、企業が(営利事業としてではなく、奉仕活動として)社会貢献活動を行うに当たり、特定の商品と結び付けてキャンペーン化すること、でした。社会貢献と結び付けることで商品の売り上げが実際に伸びるとしたら、それだけ市場の社会貢献に対する意識が向上した、ということで、喜ばしいことのような気もします。少なくともビジネスモデルとしては、企業も売り上げが増え、NGO等も活動が拡充でき(つまり援助を受けるべき人々が援助を受けることができ)、さらに消費者も社会貢献ができる、という形で三方よしになる、とのことでした。一つ自分がよく納得できなかった点は、この最後の点です。Cause Brandの商品を買うことで、消費者にとっては、何が良いのか。敢えて言うなら、社会貢献をしたという自己満足感を得ることができる、ということなのでしょうか。しかし、そのような満足感を以てその人の利益(得)と言うのは、押し付けがましいような気もします。

その他、このCause Brand Projectについて、自分が感じた疑問や意見は、下記の通りです。このように活動・運動の根本的なところに疑問が残るような説明になる、ということ自体、若干うさんくさいような気がします。遅まきながら、社会人として仕事を始めて初めて、突っ込まれたくないところはなるべく避けるように説明する、という状況を実感しているからです。今までは、幸せなことに、仮に自分がした説明がわかりにくかったり内容的に不十分であっても、それは単に自分の説明能力が低いだけで、わざと隠したり避けなければならない状況にはなかったのです。

  1. 企業に対して協力要請をする際に、どのような戦略を採っているか。どのような企業に狙いを定め、どのように訴求しているか。
  2. このプロジェクトに協力的な企業とそうでない企業の本質的な差はどこにある(と分析している)か。
  3. 協力相手のNGO等は、どのように(どのような基準で)選んでいるか。話を聞く限りでは、海外のみのようだったが、それはどのような方針によるものか。
  4. これは意見ですが、本来目指すべきは、その企業の営利事業自体が社会貢献である、という状態ではないでしょうか。(そのための過渡的段階としてこのようなプロジェクトがあるならばともかく。)

walsaについて

まず、前提として、昨年・一昨年に引き継き今回も、知り合いに会うつもりで行ったのですが、見事に当てが外れました。知っている人は誰もおらず。スタッフにも、来場者にも、です。上映された映像には、一度会って話したことのある人がかなり主要な配役で出演していましたが、その時はその場にはおらず。結局、踏み込んだ自己紹介もしなかったので、さながら、偵察に行ったような感じになってしまいました。

それはさておき、企画としては、一時間半が二回の二部制になっており、第二部に参加しました。恐らく一部・二部で同じ内容だったのではないかと思います。大まかに言えば、裁判員を模擬体験する企画でした。まず事件の背景から結末までを(被告人の証言に基づいて)再現する映像を観た上で、事実関係や、承諾殺人と殺人の区別、量刑に際して考慮すべき要素等、講義と議論を交互に行っていく、というものでした。第二部の来場者は10~15人ほどで、walsa側のスタッフも同数くらいだったでしょうか。その人数が、四つ程度のグループに分かれて、配置されていました。自分がいたグループは、自分と連れの他にもう一組のカップルがいて、スタッフとしてはやりにくかったのではないかと思いますが、それぞれに違った意見が出てきていて、興味深いものでした。

さて、ここからは、文句のオンパレードになります。不快に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、ご容赦ください。

  1. 早稲田祭の公式パンフレットには10時から16時30分と書いてあったのに、ウェブでは13時30分から17時と言っている。
  2. しかも、その時間にいつでも入っていいのかと思いきや、二部制。そうならそうと書いてもらいたい。
  3. パンフレットやウェブには主催団体がALSAとしか書いておらず、チラシに至ってはALSA Japanと書いてある。なに、今回はALSA Japan全体でやっているのかと思いきや、何のことはない、実際にはwalsaだけではありませんか。
  4. 開始時間がずれこんだ。いや、これは大したことではありません。それに、開始時間が遅れることも、ちゃんとアナウンスしていたので、それは好感が持てます。
  5. しかし、来場者に対する案内が殆どなかった。第一部の開始後に訪れた際は、辺りを何度かうろうろしてようやく声をかけてもらえたものの、何がどう進行しているのか全くわからない状況だったし、第二部の開始時間ちょっと前に行った際も、会場に入ってもこちらから話しかけるまでは何の案内もなかった。
  6. 各グループにTCACが配置されていて、まぁALSA用語を使わざるを得なかったのは他に適切な語彙がなかったとしたら仕方ないとしても、それ以外にもう一人いたwalsaからの参加者が、何のためにいたのか、意味不明。
  7. 議論をしようと言うのに、講義用の席の配置のまま、というのは配慮がなさ過ぎではないでしょうか。
  8. ALSAについての説明が、全く無かった。いや、企画の趣旨を鑑みて、ALSAの説明に時間を取るべきではないと判断したのであればそれも一つの判断としてあり得るけども、それでも、せめて紙媒体で配るとか、掲示をするとか、すべきではなかったでしょうか。ただでさえ怪しい名前の団体なのに、正式名称の説明も何もなければ、本当に後ろ暗い団体がその正体を隠すために一見まともな趣旨を掲げて学園祭に参加している、というのと変わらないのではないでしょうか。特にこの点は、walsaとしての姿勢にも関わるので、実際に早稲田祭に関わった面々だけではなく、上級生の姿勢も含めて(そこまで見ていなかったにせよ、知った上で容認した或いは積極的に後押ししたにせよ)、自分は問題だと思いました。
  9. 上級生の関わり方、という意味では、そもそも上級生が来ていないこと自体も、問題と感じます。まがりなりにもwalsaとして学術企画をやるのに、一年生にすべて任せる(いや、全員一年生だとわかっているわけではありませんが・・・)というのは、いかがなものか。実際には突っ込んだ質問は出なかったような感じだったし、一年生も優秀そうな感じはしたけども、それにしても、walsaとして来場者に対する誠意が足りない、と言われても仕方がないと思います。学術面に限らず、ALSAについて突っ込んだ質問が出た場合の対応を考えた場合にも、そうです。或いは、(そんなことはないと思いますが、)学術面・運営面で、今回参加していた一年生の水準が上級生と遜色ない、というのであれば、それでは上級生が情けなさ過ぎると思います。
  10. 時間配分がおかしい。やっていることは普段のLCAAと変わらないように見受けましたが、それならせめて、議事進行や運営は完璧・・・とは言いませんが、もっと高い完成度を見せてほしかった。議論をする、と銘打った企画で、参加者に議論をする時間が短かった、と言わせるのは、計画に問題があったのでは?と思います。
  11. そして、最後に。これは完全に内部的な視点になりますが、なぜwalsaがこのテーマ(裁判員制度)を、しかも体験型でやるのか。まるで、個人的にこのような企画をやりたい、という人(達)に、walsaが名前を貸しただけかのような感じがします。walsaの人がやる、ということと、walsaとしてやる、ということは峻別すべき、と思います。或いは、walsa会員の、一種研修やモチベーションのため、という目的もあったのでしょうか。早稲田祭のように、ALSAの中では数少ない世間一般向けの企画を、内向きな目的のために(内向きな目的を主眼にしては)用いるべきではない。自分は、そのように思います。

2009-11-07

学園祭、行きますよ。

早稲田祭、今年もやるそうで。暇なので、行くつもりです。ディスカッションを通して体験と書いてあるので、ひょっとして受動的な参加姿勢ではいけないのかな?という辺りが気になりますが・・・。案内の作りも雑なので、あまり期待せずに行きましょうか。もし行かれる方がいたら、当地にてお会いいたしましょう。

2009-11-03

テーマパークについて

東京ディズニーランドへ、行ってきてしまいました。それも、朝五時過ぎに家を出て。どれだけ気合い入ってるんだよ、という感じですが、でも、せっかく行くならとことんやらないと。自宅から、自転車で二時間ちょっと。東京ディズニーランドは、駐輪場も用意してくれてるんですね。

さて、中のアトラクションについて、幾つか。モンスターズ・インクは、前回長蛇の列のため入るのを断念したアトラクションでした。今回も、朝からファストパスが売り切れてましたが、夕方、二時間待ちの列に並んで入ってみました。しかし、結局楽しみ方がよくわからず。逆に、最後までファストパスが残っていたスペース・マウンテン。自分にとっては、宇宙というコンセプトが魅力的で、何度行っても飽きないものですが、相対的には、あまり人気ないんですかね。ウィキペディアによると、開園当時からあって最も古い、ということで。関係ないですが、The PoliceのEvery Breath You Take(邦題「見つめていたい」)に惹かれる理由も、宇宙的な雰囲気のような気がします。コンセプトという意味では、ビッグサンダー・マウンテンも、良いですね。遅さを補う魅力があると思います。その他、どのアトラクションも、細かいところまで趣向が凝らされていて、やはり造形は素晴らしい。また、園内には、目を疑うようなコスプレに身を包んだ人々で満ち溢れていますが、客をしてそこまでさせる、というのも、遊園地としての魅力の高さの為せることなのか・・・と思いきや、ハロウィンの期間の特定の日以外は、コスプレ禁止なんですかね。道理で、新鮮に見えたわけです。ちなみに、それ以外にも、閉園間際にビッグサンダー・マウンテンに二回連続で搭乗したのですが、最後の最後に乗っていた人々のテンションの高さも印象的でした。個人的に残念だったのは、食事。ピザ・ポートのアトラクションの要素は良いと思ったものの、自分が歩いて回っている中では、それ以外には結局良い店は見つけられませんでした。

さて、以上は単なる感想として、今回最も強く感じたことは、本当の日本版ディズニーランドを作ることはできないのだろうか、ということです。東京ディズニーリゾートは、商売として成功している以上に、文化の輸出・拡大にも大きく貢献しているのではないか、という印象を強く持ちました。ある意味では、平成21年度の政府(第一次)補正予算で話題になっていたアニメ御殿も、同様の目的を持っていたのではないかと思います。アニメ御殿を造るお金があったら(無いような気もしますが)、日本版のディズニーランドを造れないものでしょうか。確かに、既に日本発の(キャラクター系の)テーマパークとして、サンリオピューロランドなどもありますが、東京ディズニーリゾート(やUSJ)に比肩するものとは言えないのではないでしょうか。現実的かどうかはともかく、日本発のキャラクター(と言っても様々なので、どう選ぶか、ということもありますが)を結集したテーマパークができて成功させられたら、素晴らしいなぁ、と思います。

2009-11-02

肉汁うどん「肉汁や」

以前から気になっていました、肉汁うどん肉汁や。いつも通るんです。今回やっと、通りかかったついでに、行ってきました。

接客は、とても良かったです。ただ、店員さんが近くにいるので、一人で行くと、まぁいづらい?

料理は、肉汁というので肉っぽいのを期待していたのですが、魚粉の味が強く出ていました。そんなところです。

2009-11-01

IEのみネットに接続できていなかった件

Windows Vistaを使っているのですが、だいぶ以前から、SeaMonkeyOperaGoogle TalkSkypeといったソフトウェアは問題なく使用できるのにIEでのみインターネットに接続できない、という現象が起きていました。これまではSeaMonkeyOperaで済んでいたのですが、そろそろ対策を講じなければならなくなり、調べてみたところです。

一番それらしい事例を参考にしてみましたが、うまくいかず。

結果的にヒントとなったのは、マイクロソフトサポートオンライン。問題自体は関係がなさそうだったものの、セーフモードで起動してみよ、という記述が。確かに、Firefoxの問題解決方法としても、セーフモードというのは度々言及されていた気がします。

どうすればセーフモードで起動できるんだっけ?ということで、とりあえずショートカットアイコンを右クリック。あれ、セーフモードで起動という項目、ないじゃん。だめだったか・・・。と思いきや、管理者として実行という項目があるのが目に留まりました。以前Google Talk音楽ステータス機能が作動しなくなった際に、解決に寄与したのがこれ。管理者として起動すれば、よかったのでした。

そこで今回も、管理者として起動、してみると・・・。なんと、今まで何を何度やっても「接続できません」とだだをこねていたIEが、ネットにつながってくれた!

めでたしめでたし。