船場吉兆、客の食べ残しを別の客に使い回し
客が全く箸を付けずに残した料理を、再調理して、他の客に出したということ。自分はそう理解しましたが、それが事実だったとして、本当に悪いことがあるとしたら、それは何なのでしょうか。
せっかく作った料理、捨てるよりは、より有効に利用した方がいい。出される料理、重要なのは安全であること、そしておいしいこと。この行為を推進した人には、この両者を解決する行為に思えたのではないでしょうか。その認識に対して、問題があるとしたら、本当に安全であるかどうか。法的にも問題があるとしたら、そこになるのではないでしょうか。
しかし、批判の本質は本当にそこなのか。料理の使い回しなどしていないという期待が裏切られたことに対する嫌悪感の方が、強いのではないでしょうか。しかし、この期待は、どれほど重要であり、どれほど優先されるべきものなのか。
今のご時世、環境問題の方が重要…である可能性もあるかも知れません。つまり、食べ残しを廃棄物にしないということ、かつ次の客の原材料を節約できるということですね。では、この期待を裏切らず、かつ環境負荷も抑えるためには?
一つの解決策は、食べ物を残さないことです。前の客が、残さずに全部食べていれば、それはその客の栄養として有効利用されるはずです。次善の策は?誰かが、その残りを食べることです。その料理は、その食べた人の栄養となります。ただ、純粋に環境負荷の面から言えば、これは使い回しに劣る解決策でしょう。なぜなら、通常、客以外でその料理を図らずも食べることになった人は、もしその料理でなければもっと手の込んでいない料理を食べたはずで、恐らくその料理の方が環境負荷が低いと考えられるからです。更に、これに次ぐ解決策としては、再資源化が考えられますが、これに至っては、廃棄物化との区別が曖昧になってきますね。
結局、理想は食べ物を残さないこと。この事件に悪者がいるとしたら、食べ物を残した人。ただ、このような場合、環境負荷と会社の利益は、近いことがあり得ますよね。この会社の行動が環境負荷とは全く関係なく、完全に自社の利益のためだとしたら、ここで書いた理屈によっては擁護されないかも知れませんね。
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