みなさんから『金を取るんじゃないか』と言われる中で戦うのは、AKBの選抜総選挙以上のプレッシャーがあると思う。陰ながら応援したいです。
体操男子の内村航平選手への応援メッセージとして、こんな発言をした有名人がいるらしい。
この発言が、「上から目線」なんだと。そこまで取り上げる価値のある発言なのかどうかわかりませんが(←「上から目線」?)、個人的に興味深いと思ったので、以下続きます。
関連すると思われるコメントを、ウェブ上から拾ってみました。
- この発言は、オリンピックを馬鹿にしている。
- 「AKBの選抜総選挙」は、結果を待つだけ。たくさんの観衆の中で難しい演技をしてる選手と比べるのは流石に無理があり、比べる事自体失礼。
- 他の選手は総選挙以下と言ってるようにも取れるので、失礼。
共通するキーワードは、「失礼」という辺りですか。もちろん、この冒頭の発言を「失礼」ととらえることの方がおかしい、という声もあるわけですけれども。
では、「上から目線」という言葉一般で言えば、どんな説明があるでしょうか。
- NEWSポストセブン|30代ビジネスマン 上から目線感じるのは上世代よりも20代
- さも評論家のような物言いをするのが、「上から目線」の大きな特徴
- 『うちの部長も成長したよね』『課長もいろいろ考えてるんだな、見直したよ』とか、『いまのうちのやり方じゃ通用しないよ』などと、自分を高みに置いた言い方をする
- 当事者にならずに評論家的な立ち位置をとる
しかし、これらも、まだ答えになっていない部分があります。言うなれば、「自分を高みに置いている」というのは、「上から」という言葉を言い換えたのみ。では、「上から目線」とされる表現は、なぜ「自分を高みに置いている」とみなされるのでしょうか。
例えば、冒頭のような発言をしたとしても「上から目線」と思われない人というのは、どのような立場の人か。あるいは、「上から目線」であることが拒否感につながらず、許容される人というのは、どのような立場の人か。
私は、その例として、「同じ立場を経験したことのある元選手」を挙げたいと思います。つまり、冒頭の発言に関して言えば、現在の内村航平選手の立場を経験したことのある人。典型的には、体操男子の元メダリストでしょう。
そういう人達は、よく、競技の中継とかで、まさに戦っている選手の気持ちがいかにもわかるかのように、解説しています。
そりゃ、そうです。
そういう解説が、その人たちに期待される役割なのですから。誰も、それを「上から目線」であるといって批判したりなど、しません。
仮に、完全に同じ内容の発言であったとしても、それが「同じ立場を経験したことのある元選手」の発言であれば、聴いている人の腑に落ちる。納得されます。それが、そうでない立場、その発言内容について普通なら本当に知っているとは思われない立場の人が発言すると、「上から目線」と思われるのではないでしょうか。
これって、別の言葉で言えば、「知ったかぶり」と似ているかも知れません。
もう一つ。ある発言が「上から目線」≒「知ったかぶり」と思われないためには、その発言の対象となっている人と全く同じことを経験していることは必ずしも必要ではなく、それと「同等」以上であればよい、ということです。
例えば、例として引き合いに出したコメントが当たるでしょうか。冒頭の発言も、「比べるのが失礼」であるから「上から目線」と思われる。逆に言えば、「それなら比べて語ってもおかしくない」と思われれば、「上から目線」とは思われないわけです。
まぁそもそも、世の中に全く完全に同じ経験なんて存在しない以上、所謂「経験者」にしたって、より近い「同等(またはそれ以上)の経験」をしているに過ぎないわけですが。
さて、これで、わかりました。
ある人の発言が「上から目線」と思われるとしたら、その人は、その発言内容と同等以上のことを本当に知っているとは思われていない、「知ったかぶり」をしていると思われている、ということなんですね。
さて、ここまで来ると、近年「上から目線」と評価される発言が一般に増えている(?)ことの原因や、ある発言を「上から目線」と評価することの意味や効果について、さらに続けて議論してみたいところではありますが、それはまた、いつか、話題の途切れた時の酒の肴に。
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