2009-03-17

追いコンに一年生が(殆ど)いない

追いコンの、参加者の一覧が届きました。公開したらまずいのかな・・・。ま、大学・学年ごとの数値なら問題ないでしょう。

LC 一年 二年 三年 四年 合計 比率
早稲田大学 0 6 5 8 19 40%
中央大学 0 3 11 2 16 33%
東京大学 1 1 0 3 5 10%
一橋大学 0 1 0 3 4 8%
立教大学 2 0 0 0 2 4%
東海大学 0 0 1 1 2 4%
合計 3 11 17 17 48 100%
比率 6% 23% 35% 35% 100%

というわけで、一年生が殆どいません。三人というのも、あまり言うと本人に失礼かも知れませんが、次のSTの実行委員長だったり、新規LCの立ち上げメンバーだったりと、まぁ自分が以前OBOG交流会に参加した時のように、業務上の使命を帯びて参加していると勘ぐられても仕方のない布陣です。自分に言わせれば、純粋に自発的に参加している一年生はゼロ、です。

さて、この状況を見て、自分は直感的にあり得ない、だめだ、と思ったわけですが、それはなぜなのでしょうか。そもそも、追いコンとは何か。追いコンとは、追い出しコンパ。卒業生に感謝を表し、気持ちよく送り出すためのもの。だから、卒業生を知っている人が集まって、昔を懐かしみつつ盛り上がるもの。果たして、そうなのでしょうか。

知っている人同士でやりたいなら、わざわざALSAという名前を使ってやる必要はないでしょう。送り出したいと思う下級生が、送り出したいと思う卒業生に対して、私的に開けばよいでしょう。その方が気持ちも伝わる。では、なぜそうしないか。一緒にやった方が費用が抑えられるから?本来私的な行事を、費用を抑えるためにALSAの行事として行うのは、果たして適切なのでしょうか。私的な追いコンばかりだと、卒業生同士で呼ばれる人とそうでない人の格差が生まれてしまい、かわいそうだから?それは確かに、重要な問題です。しかし、制度的にそういう配慮をし始めると、肝心の気持ちが失われ、行事が形式化するのではないでしょうか。では、追いコンは、個人的な送り出したいという意思の集合体ではなく、ALSA日本という組織として卒業生を送り出す、という場なのでしょうか。そうなのかも知れません。しかしそれなら、二年生と並んで実質的に現在のALSA日本の活動の中心を担っている一年生は、やはり参加すべきでしょう。

しかし、個人的な意思の集合としてにせよ、ALSA日本という組織としてにせよ、卒業生を送り出す、というところに本質的な目的を設定するのには、やはり違和感があります。卒業生と一口に言ったって、その彼らがALSAに対して行ってきたことは確実に功罪があるわけで(の部分に関して転んでもただでは起きぬとか災い転じて福となすを実行するのは後輩の役割かも知れませんが)、人によっては負の影響ばかり、という人もいないとは限りません。でも、そういう人だからと言って、排除すべきではないですよね。そういう人に対して、感謝して送り出す、というのは、考えようによっては、嫌味ですらあります。そうなると、追いコンの真の目的は、実は、卒業生を追い出すことではないのではないでしょうか。

こう考えてみてはどうでしょうか。組織としての文化・歴史を継承していく場、と。もちろん、組織としてと言っても、それはつまるところ人のつながりではありますが。だいたい、(自分自身はその慣習にはあまり賛成しませんが、一般的には)上級生は、普段のALSAの活動に来なくなる人が多いですね。実際、仮に多くの上級生がいつまでも活動に参加し続けたら、それはそれで鬱陶しいものなのでしょう。しかし、下級生としては、そんな上級生からも、学ぶべきことは、きっとあるはずです。それに、人脈は、そういう上級生と知己を得ることで、さらにその上へ続いていくわけですから。だから、上級生がALSAの活動に参加することの長所・短所を比較衡量した結果、彼らが卒業していなくなる前に一度くらいは、会う機会を設けてもいいんじゃないか、ということなのではないでしょうか。会議などではなく飲み会といううちとけた場でもあるし、年に一回くらいなら、上級生との付き合いが面倒くさくても我慢できる範囲になるのではないか、今まではそうだったのではないか、と思います。記憶が美化されているだけなのかも知れませんが。

いずれにせよ、今回の件は、自分が以前述べた、通常活動への上級生の参加が回避される傾向があることの裏返しである気がしてなりません。元はと言えば、CMが二月九月に変更になって、上級生が参加しにくくなったり、役員選挙に一年生が出にくくなったことも関係してくるかも知れません。かれこれ三年も前に議論された事がこんな形でじわじわと影響力を発揮してくるのかと考えると、ある意味では感慨深いものがありますが、それは、自分が初めから理想と考えていたALSA像から実際のALSAが遠のいていく過程なのかも知れない、と考えると寂しくもなります。

まぁ、無事卒業も決まったらしいことですし、自分が過去に所属した組織のことをじくじく考えるのは、そろそろやめにしましょうか。自分は、高校の時も、そうやって過去から卒業してきたはず。もちろん、自分が直接的に関わる可能性がある場合には、それなりの意思表明をしますけれども。それが、今回に関しては、今のままでは、追いコンには参加しない、ということです。

2009-03-15

宛先の表示名をどうしましょうか。

メールを送ろうと思って、ふと立ち止まりました。今まで、基本的には送信者が使う差出人名を自分からメールを送る際の表示名にもしていましたが、果たして今後も、それでいいのだろうか、と。

今まで表示名を送信者が使う差出人名と同じにしていたのは、自分のところへ来るメールと自分から出すメールで、同じアドレスでありながら名前が異なるのは変な気がしていたから、です。でも、考えてみると、自分でも、差出人名とは異なる表示名を使っている、使っていたことがありました。

一つは、CCDL業務です。三年程前に一度、表示名の設定方法が明示的に統一されました。例えば、先生ならProf.+名字[アルファベット]、社員スタッフならCCDLStaff+名字[アルファベット]、学生スタッフならCCDL-[ハイフン]+名字[アルファベット]という風に。送られてくるメールの差出人名は本当にそれぞれですが、こちらから送る際の表示名はこのように統一された形式になっていました。

私用でも、差出人名をそのまま使っていない例が少しあります。それは、FreeMLで設定されたニックネームです。なぜかFreeMLのメーリングリスト上では本人と結び付かないようなニックネームを名乗る人が多いような気がするのです。だから、そのような場合は、ニックネーム(本名[氏名])という形式にしています。

というような現状を踏まえて、今、どうすることが自分にとって最適なのか。社会人というのは今までとは違うのだから、そういうところも含めて切り替える、というのも良いかも知れません。或いは、CCDLのように、業務用のアドレスを使っているかどうかで分けてもいいような気もします。そう考えると、業務用のアドレスがまだない今は問題だけども、業務用のアドレスが取得できれば迷うことはなくなる、という類の問題かも知れません。

2009-03-12

職務質問。か。

「職務質問」動画に賛否両論J-CASTニュース

職務質問の様子を撮影した動画職務質問 兵庫県警新港交番についての記事です。

動画へのコメントに関西は…というのがあるけども、東京も、変わらんですよ。

確かに動画はかなり編集されてるとは思うけども、でも受ける印象はだいたいこんなものだと思います。このようにして、一般からの支持を減らし、市民の協力を得にくくなり、犯罪が増え(防げなくなり)、警察が批判の矢面に立たされ、さらに強圧的になり・・・という悪循環がなければいいんですが。

2009-03-08

数字は全角か半角か

ゼミの論文執筆も大詰めになってきて、書式の統一についての連絡がありました。ふむふむ、なになに・・・数字は全角算用数字・・・?

自分の常識と違っていたため、違和感があり、反応しようかとも思いましたが、あまりにも細かすぎることだし、そもそも半角の方が良いと言える根拠も特にない。そこで、一般的にはどうなっているのか、ちょっと調べてみることにしました。ちなみに、我がゼミで書式をそう定めたのは、恐らく見栄えの関係じゃないかなぁと推測しております。

日本顔学会学術論文執筆要項山口大学「大学教育」スタイルガイド大阪府立大学大学院人間社会学研究科女性学研究センターの刊行物女性学研究執筆要項日本ロボット学会誌論文原稿作成要領日本社会学会機関誌社会学評論記述上の約束事レーザ加工学会誌投稿論文執筆要領。数字を使用する際は半角算用数字を用いることになっているようですね。環境社会学会環境社会学研究では、注意点として英数字は半角としながら、注意点本文中ではHPEメールといったところで全角英字が使われていたりします。

教えて!gooより、数字の全角・半角……皆さんはどちらを使っていますか?。全角派の理由は、だいたい見やすいという点に収斂しそうです。しかし一方で、半角派から、全角数字は気持ち悪いという意見も存在するようです。半角派の理由は、他にテンキーを使って入力しているから当たり前だからといったものがあります。興味深い意見としては、使い分けているという声がありますね。二桁まで、或いは三桁まで、という感じで、桁数の少ない数字では全角を使う、ということのようです。

使い分け派、いました。佐賀県教育センター論文表記上の留意点序数として使う場合、一桁であれば全角、二桁以上なら半角とする一方、一人一人、自分一人、一斉、二人三脚などでは漢数字としているようです。漢数字を用いる場合を、1つのまとまった言葉と定義している事例もありました。いや、それなら、ここでの1つという表現は、漢数字を使うべき場合ですかね(注)。他に、半角派として紹介した女性学研究執筆要項でも、漢数字を用いないと不自然な場合に限って、漢数字を用いるように定めています。

変則的な使い分け派、とでも言えるような場合もあります。農業農村工学会論文集は、作成例の中で、章(第1レベルの見出し)の標題の見出し番号のみ、全角にすることとしているようです。尤も、例によって、作成例自体の中では章(第1レベルの見出し)の標題の見出し番号も半角になっていますが。信州大学教育学部 附属教育実践総合センター紀要教育実践研究も、書式に、同様の定めをしています。こちらは、書式本文も定めの通りになっています。えらいですね。

結局、数字を原則全角、とする事例は、あまりなさそうな様子です。どうなることやら・・・。ちなみに、自分の考えとしては、桁数を基準にした使い分けは、不自然な気がします。少なくとも、見た目はともかく、データとしては。12時と言う時の22時と言う時の2は、同じものであるはずじゃないですか。ちなみに、このブログの中では、同じ記事中に同列の数値として20以上の数が出てこない時は漢数字、それ以外は半角数字になっているんじゃないかと思います。多分。

と、調べていたら、原稿の表記統一ツールなるものを発見しました。これは、すごいです。ブラウザ上で入力しなければならない関係で使途は限られるかも知れませんが、応用範囲は広そうですね。

(注)2015/06/29更新箇所

2009-03-02

成績発表→再試験

今日は、成績発表でした。この日までに、想定されていた可能性は、三通り。

  1. 全単位取得→めでたく卒業決定
  2. 8単位以下不足→再試験突入
  3. 10単位以上不足→六年目突入決定、再度就活

結果は・・・。2単位不足。それにしても、昨年度前期に既に1単位も落とせなくなってから、よくここまで来たもんだ。これから、再試験へ突入します。

ところで、2単位不足ということは1科目分単位が足りないということですが、その科目は何だったでしょう。この記事へのコメント欄へ、自力で(直接・間接に自分に聞かずに)正答を書いてくださった方は、賞として、(都合が合えば)で一食おごります。(笑)